犯罪者名鑑 造田博 3

ぞーだ


判決

 
 裁判では、造田の責任能力が焦点になりました。犯行当時、造田には統合失調症の疑いが強く、裁判中でも、被告が発言してはいけない場面で発言をする不規則発言や、裁判長が開廷を告げる間、突然腰を下ろすなど(宅間守ですら、「座っちゃああかんか?」と一応尋ねている)、挙動におかしなところが目立ちました。弁護側は統合失調症を理由に減刑を訴えるのですが、精神鑑定の結果、造田は統合失調症の疑いなしとされ、責任能力ありとして死刑判決が下されます。

 この判決には疑問を覚えます。犯行当時の造田の精神が異常であったことは、素人目にも明らかです。逮捕されてからの言動だけがおかしいというならともかく、事件よりずっと以前の行動内容からすでに異常が見受けられますから、詐病ではないでしょう。これは事件の重大さを鑑み、死刑が回避された場合の世論を危惧して、造田を何が何でも死刑にするために、敢えて造田を正常としたとみて間違いないでしょう。おそらくこの事件で死者が出ていなかったら、造田には責任能力なしとして、無罪か減刑の処分になったのではないでしょうか。造田は控訴しますが棄却され、死刑が確定しています。

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 造田博教


 死刑が決まった造田は、拘置所の中で、「造田博教」なる、不思議な宗教を開きます。教義とされるのは、以下の通りです。



 造田博教では決まった献金は平均収入の10分の1か100分の8くらいで,これ以上はないです(日本、アメリカで1ヵ月2万円くらいです。)。家族がいる人の場合とかは、いろいろ工夫しようと思っています。あと自由献金(決められていない献金)があってこれは金額の限度はないです。自由献金はいろいろなことに使います。 造田博教には入りたい気持が少しでもあれば入れます。
 造田博教の教会の人(集まるかどうかはわかりませんが)や造田博教の会社(造田博教で自動車、電気製品、テレビ局、銀行とかグループがたくさんある会社を作ろうと思っています。)はやめたければやめられます。造田博教の会社では問題がないように造田博教の教会の人でなくても(他の人や他の宗教の人も。)十分働けるようにしたり他のものを加えようと思っています。
 造田博教の教会の人は神の家族とかではなく他の人同士です。造田博教の教会の人は造田博教の教会の人です。
 私は造田博教ではトイレを自由にするのがいいと思っています。あと小便や大便をもらしてもふれないようにするのがいいと思っています。
 
   ~(中略)~
 私の思ったことを適当に書いただけなので、あまり深刻に考えないで下さい。S君に送っている手紙にも毎日こう書いています。前にS君は私の送った手紙に緊張したみたいで、変わった手紙を送ってきたので毎日こう書いています。その時はすぐ返事が変わりました。
 手紙を書くのに時間がかかるので、今度はいつ手紙を送るかわかりません。あと手紙を受け取りました。どうもありがとうございました。あと、短い手紙はかまいませんけど。
  長いのでボールペンで消しているところがあります。
 


 意味は深く考えても無駄でしょう。最後にある、「私の思ったことを適当に~」というのは、造田と書簡のやり取りをしていたジャーナリストに宛てた言葉です。ジャーナリスト氏はこの言葉を、自分の犯した罪に対する責任の回避、また自分で考えた造田博教の教義に深く突っ込まれないための予防線との解釈をしていますが、実際の真意は不明です。

 トイレがどうのというのは、最後に勤めた専売所で、忙しいときにトイレに行ったのを咎められたのを根に持っていたようですが、そうした小さなトラブルが積もり積もって、社会全体に対する巨大な憎悪となっていったのでしょう。「そんなこと気にするなよ」とは、そんなことが気にならないくらい楽しい人生を送っている人の言い分です。経済的にも、交友関係にも恵まれなかった造田は、小さな出来事で負った傷を癒す暇もなく新たな傷を増やし、最後にはもう回復できないほど心がボロボロになってしまったのです。大きな犯罪を起こした人でも、この点はやはり同情するべきです。


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 総括


  造田は明らかに統合失調症にかかっていました。当然のことですが、統合失調症の人が皆すべて犯罪を起こすわけではありません。動機には造田が抱いていた、自分を取り巻く環境に対する不満、日本社会への憤りなどといったことも大きく関係していることは間違いありません。

 だったらだったで、その個人的な動機の部分を強調して、一般のごく善良な統合失調症患者とは区別していけばいいのであり、ムキになって統合失調症であること自体まで否定することはないでしょう。それでは事件の本質がわからなくなってしまいます。思考停止で精神病患者の罪が減じられてしまう現行の法律は、時代に合わなくなっています。また、一度精神疾患なしとの診断が下ったということは、獄中ではもう、適切な治療や投薬を受けられない可能性があるということでもあります。これは人権問題にも抵触するのではないでしょうか。

 厳罰化は遺族感情を和らげる効果はあるものの、事件抑止の効果はあまりないというデータもあります。それでも、世論や遺族感情を考慮して、精神病患者にも極刑を下すという方針を貫くならば、法律もそれに合わせ、精神疾患を認めたうえで、なおかつ重い罪を科せるように変えるべきでしょう。なんにせよ、矛盾が発生することはよくありません。

 また、いかに精神病患者であれ、大きな罪を犯した人物であれ、造田が人を殺してまで世の中に訴えたかったメッセージに耳を傾けず、戯言として処理してしまうのは愚かなことです。自己責任などではなく、理不尽な運命によって凋落してしまった人がもう一度夢を見られるような社会を作り上げることこそ、犯罪者に厳罰を科す以上に社会がしなければならないことです。

 無差別大量殺人は、発散するエネルギーが膨大なせいか、様々な犯罪の中でも、特に模倣犯を呼びやすい犯罪です。このわずか三週間後に起きた下関通り魔事件で、五人の死者を出した上辺康明は、「池袋の事件を意識した」と明確に語っています。そしてこの三年後には、大阪市池田小学校にて、児童八人が殺傷される事件が・・・。

 二十一世紀型無差別大量殺人の先鞭は、まさに造田博によってつけられたのです。 


 犯罪者名鑑 造田博 完
 
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犯罪者名鑑 造田博 2

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 造田博統合失調症説

 造田博は、事件の二年前の九十七年ごろから、外務省や警察庁などにあて、意味不明の手紙を送り付けるようになっていました。その内容は、次のようなものです。


 ――日本人のほとんどは小汚いものです。この小汚い者達は歌舞伎町で、人間でなくなっても、動物でなくなっても、生物でなくなっても、存在しなくなっても、レイプし続け、暴行をし続けると言っています。存在、物質、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する能力を個人がもつべきです。この小汚い者達には剥奪する必要があります。国連のプレジデントに届けて下さい。


 ――世界中で見られる、生まれながらのひどい精神障害者、奇形児の方々はすべて、歌舞伎町で会ったことが原因で患者になっています。だから私は日本で生まれることにしました。私に関係があるという理由で、この小汚い者たちはA子さんという女性を世界中の人達、私の目の前でレイプしようとしています。国連のプレジデントに届けてください。

 ――Breathing OK は愛情です。国連のプレジデントに届けてください。世界中のプレジデントの方々に届けました。国際平和に役立ててください。強力な後押しになります。

 ――助けてください。造田博にレイプされました。僕の彼女も造田博にレイプされました。造田博が僕の彼女のお腹に子供をつくりました。世界中の人たちに助けてもらいます。国際裁判をします、僕達にはどうすればいいのかわかりません。お知えて下さい。国連の親父たちに言ってもらいたい。

 
 まったく支離滅裂な内容で、意味は考えるだけ無駄でしょう。問題は、進学校に通うなど優秀な頭脳を持っているはずの造田が、なぜこのような滅茶苦茶な文章を書いたか、ということです。もちろん、文章は単純に学力がある人ほど上手いというものではありませんが、それにしても造田の書いた文章は、誰がどう見ても、二十代前半の青年が書くごく平均的な文章力のレベルも大きく下回った、滅茶苦茶なものとしか言いようがありません。

 こういった、妄想的で支離滅裂な文章を書くのは、統合失調症の人の特徴の一つです。裁判ではなぜか精神病の疑いは否定され、造田には責任能力ありとして死刑判決が下るのですが、前述した無断欠勤、軽犯罪行為や無謀な単独渡米など、根拠の伴わない、妄想性に満ちた支離滅裂な行動などを考え併せれば、造田はやはり統合失調症になっていたのではないでしょうか。

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 無言電話

 事件が起きた1999年当時、造田は朝日新聞の専売所で勤務していました。勤務態度は真面目であったようですが、ある日寝坊をし、遅刻をしてしまい、それをキッカケに、雇用主から携帯電話を持たされるようになります。携帯電話は、勤務先と連絡をとるためだけに購入したものでしたが、同僚からも番号を聞かれました。造田は新聞専売所の同僚たちを、例によって「努力しない人」と決めつけて見下しており、内心教えるのは嫌だったのですが、何度もしつこく聞かれるため、渋々教えてしまいました。
 
 それから数日後、造田の携帯に一本の無言電話がかかってきました。造田はそれを、造田が番号を教えた同僚からのものだと決めつけます。

 これがキッカケでした。怒り狂った造田は、部屋にあったレポート用紙に檄文をしたためます。

「ワシ以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。ワシもボケナスのアホ全部殺すけえのお」

「アホ、いますぐ永遠じごくじゃけえのお」

 造田の怒りは、無言電話の主にピンポイントで向かうのではなく、社会全体に拡大されて発散されました。無言電話は単なるトリガーに過ぎず、造田の頭の中には、高校中退という挫折の経験以来、自分をずっとないがしろにしてきた社会への復讐心が、ずっと燻っていたのです。

 努力をした自分がこんなに苦しい思いをしているのに、なぜ、努力をしない人たちが楽しそうな毎日を送っているのか・・・・。

 マグマのような復讐心が、ついに爆発するときがやってきました。


池袋


 
 池袋通り魔事件

 1999年九月四日、造田は、いつも出勤する朝三時ごろ、家を出ました。しかし、向かったのは、勤め先の新聞専売所ではありません。造田は、彼が唯一よく知る繁華街、池袋に向かったのです。普段池袋を歩いているときに、心の中で「努力しない人」と蔑んでいる人たちを、皆殺しにするためでした。

 始発電車で池袋に到着した造田は、ハンバーガーショップで朝食を済ませた後、東急ハンズに凶器を仕入れに向かいます。購入したのはステンレス製の包丁と、金づちでした。怪しまれないためなのか、まな板とドライバーを同時に購入していますが、これはすぐに処分しています。

 造田はこの時点では、まだすぐに犯罪を決行しようとしているわけではありませんでした。彼にも人の心というものがあります。造田はこの後なんと、池袋の繁華街で四日間も、CDショップやゲームセンターをフラフラとし、カプセルホテルで夜を明かす毎日を送るのです。

 家族があり、仕事がある人ならば、四日間も音信不通になっていれば、誰かが気にかけて連絡するでしょう。造田にも職場からの連絡はあったはずですが、彼にしてみれば、職場の人は信頼できる相手ではなかったようです。今となっては唯一の家族である兄とは別居をしており、友人、恋人は彼にはいません。この四日間で犯行を食い止めるチャンスはあったはずですが、不幸にも彼を止められる人は誰もいませんでした。孤独が引き起こした犯罪という側面もあるといえます。

 池袋に到着して五日目の朝、造田はついに犯罪を決行する決意を固めます。荷物をコインロッカーに預け、サンシャインシティへと向かったのです。

「むかついた、ぶっ殺す!」

 雄叫びをあげて己を鼓舞した造田は、凶器を持って、まず通りがかりの若い男女二人を狙い、東急ハンズのエスカレータの方向に突進します。そこに、地下のエスカレータから、老夫婦が上がってきました。造田のターゲットはこちらに移ります。老婦人の胸部目がけて、包丁を突き出したのです。婦人はその場にうずくまり、間もなく帰らぬ人となりました。

 続いて、金づちで主人を滅多無人に殴りつけた造田は、主人が倒れたことに満足して、池袋方面へと向かいます。造田が続いて目を付けたのは、やはり若い夫婦でした。襲われた妻は、包丁によって内臓をズタズタに刺し貫かれ、パチンコ店に逃げ込みますが、間もなく息を引き取りました。

 完全に火のついた造田は、その後も通行人を次々と襲撃します。犯行時、喧噪に紛れてしまったのか、現場では何が起きていたのがすぐに把握した人は少なく、何人も人が刺されてもまったく気が付かずに通行していたという人もいたようですが、段々と状況に気が付いて、逃げたり、防御の構えを取る人も増え、また造田の体力も落ちてきたのか、死亡者は二名に留まりました。

 程なくして駆けつけてきた警官により、造田は逮捕されました。

犯罪者名鑑 造田博 1

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 21世紀型無差別殺傷事件の先駆

 

 周知のように、20世紀末期に我が国で導入された新自由主義的な経済政策は、かつて日本人が、100%実現はしないまでも実感はしていた「一億総中流」の社会を破壊し、富の一極集中を促進し、反対にどんなに働いても一生、食うや食わずの生活しか送れない貧困者を大量に生み出しました。

 閉塞感の漂う世の中で、社会の「負け組」とされる層の人々が、無差別に人を殺傷する事件が度々起こるようになっていきました。2002年の大阪池田小事件、2008年の秋葉原無差別殺傷事件の二つが特に有名ですが、それら、21世紀型の無差別殺傷事件の先駆けとなったのが、1999年、20世紀の最後におきた、池袋通り魔殺人事件でした。

 「短時間、単独犯での無差別大量殺人」と分類される事件は20世紀にも起こっています。戦時中に起きた「津山30人殺し」事件、80年代の「深川通り魔事件」などがその代表格ですが、津山事件の犯人には、村八分に遭ったことに対する怨恨、深川通り魔事件には覚せい剤中毒による妄想といったものが背景にあったのに対し、21世紀型の無差別殺傷事件は、犯人が薬物などの影響がない平静(精神病の疑いはある)な状態で、「殺すのは誰でもよかった」などとして犯行に及んでいることが大きな特徴です。恨みの対象が個人(集団)から社会へと拡大され、世の中は「いつ、どこで、だれが自分を狙っているかわからない」時代へと突入したのです。


ぞうだ
 
 天国から地獄へ

 造田博は岡山出身。1975年、二人兄弟の次男として誕生しました。父親は内装の一人親方、母親は被服工場の請け負いでミシン内職をしており、個人事業主である二人は腕がよく、並みのサラリーマン以上の所得を得ていたといいます。

 しかし、博が中学校に上がったころから、生活に陰りが見えてきます。母親はミシンの請負業をやめ保険の外交員として働くようになっていたのですが、この頃からパチンコ、競輪などギャンブルにのめり込み、服装もどんどん派手になっていったのです。一方、父親は体調を崩してあまり働かなくなっていましたが、遊び狂う妻を見て浮気を心配したらしく、なんと妻と一緒になって、ギャンブルに出かけていくようになったのです。

 博は優秀な子供でした。中学二年生ごろまでは、父親に連れられてゴーカートの練習に出かけるなど、中の上の坊ちゃんらしい暮らしをし、恵まれた環境に甘えていたところもあったようですが、中学三年のときに一念発起して猛勉強、下から数えた方が早かった成績を一気に学年トップクラスにまで上げ、県下有数の進学校への入学を果たしました。この経験は博にとって大きな自信になりましたが、世の中の人を「努力する者」と「努力しない者」に二極化し、後者を見下して差別しようとする考えにも繋がっていきました。

 勉学に明け暮れていた博でしたが、高校生になったころには、両親の浪費のせいで、家庭の経済事情は火の車になっていました。造田家には毎日のように借金取りが訪れていましたが、両親は対応を博に押し付けるかのように、朝から晩まで家を空けるようになります。誰がどう見ても、勉強に集中できる環境ではありません。博はとうとう、高校を中退してしまいます。学費の問題もあったかもしれません。

 その後、博は弁当屋でアルバイトを始めました。両親が帰宅は遅いながらも家に帰っているうちは、博はまだ家にいましたが、十八歳のとき、両親がとうとう姿を消して家に帰らなくなると、自力で学費を稼いで大学に通っていた兄の元に身を寄せることとなります。この両親は、結局博が逮捕された後になっても、姿を現しませんでした。無責任な話ですが、如何わしい金融業者からもお金を借りていたような経緯を考えれば、もはやこの世にいないかもわかりません。

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 泥の底
 


 造田は兄の家を拠点に生活を始めますが、仕事が長続きしません。働いているときは真面目であるものの、無断欠勤が続いて解雇をされるというのがいつものパターンで、五年間で二十近くもの職を転々とします。「努力すること」を人としてもっとも素晴らしいことと考える造田ですが、五年間で経験した仕事は、どれもアルバイトかそれに毛が生えた程度のもので、彼にとっては、努力するに「値する」ものではなかったようです。高校を中退するまでは、大学を卒業して事務職につく、と将来を思い描いていた造田は、不本意な暮らしの中で、鬱屈をため込んでいきます。万引きやタクシーの無賃乗車などといったトラブルも引き起こし、その度にいつも頭を下げるのは、大学を卒業し社会人となっていた兄でした。

 この頃の造田を支えていたものが二つあります。一つは、青年らしい恋心でした。小学校のころの同級生で、造田は彼女に「会ってほしい。一緒にいたい。返事が欲しい」と熱烈な手紙をしたためるのですが、まったく相手にされません。業を煮やした彼は、直接電話をかけ、家にまで押しかけるのですが、彼女の父親から、やんわりとした口調で拒絶の意を伝えられてしまいます。彼女にしてみれば、造田とは遠い昔、小学校のころ一緒の学校に通っていただけで、ほとんど面識もないのですから、この対応も仕方ないでしょう。中学、高校でも多数の出会いはあっただろうに、造田がなぜ彼女に執着し続けたのか、その理由ははっきりしませんが、この後も造田の彼女へのこだわりは続きました。外務省に送り付けた手紙の中にも彼女の名前が登場し、逮捕後、とあるジャーナリストに送った、手紙には「彼女の方が僕を好きだった、僕が交際を断った」などと、まったく逆のことが書かれていました。

 そしてもう一つが、アメリカへの憧れでした。造田は、おそらく高校中退という挫折の経験を根拠に、日本は「努力しても報われない国。人を学歴でしか判断しない国」と決めつけて批判します。これは間違ってないにしても、問題は、格差社会の総本山であるはずのアメリカを、なぜかその正反対「努力すれば必ず報われる国。学歴がなくても偉くなれる国」と、高い評価をしていることです。根拠はまったくわかりませんが、彼のアメリカ熱は本物で、なんと彼は、事件の前年である九十八年、僅か二百ドルあまりの所持金を手に、無謀ともいえる渡米を決行するのです。

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 単独渡米

 造田が米国に旅立った時期は、前述した女性が米国に留学していた時期と符合します。憧れの地で、憧れの女性とのロマンスを、などと、陳腐な映画のような妄想を抱いてしまったのでしょう。行動力は大したものですが、やはり所持金わずか二百ドルで、英語もロクに離せない彼が単独で渡米するのは、あまりにも無謀でした。

 はじめポートランドに上陸した彼は、一路、愛する彼女が住むシアトルへと旅に出ます。しかし、当然のことながら所持金はあっという間に尽き、英会話能力のない彼は職を求めることもできません。現実を突きつけられた彼は、錯乱し、パスポートを破り捨てるという暴挙に出てしまいます。

 結局造田は、餓死寸前の状態になっていたところを日本領事館によって保護され、一か月ほど教会のお世話になった後に帰国します。このとき教会で受けた世話について、彼は「唯一、人間らしい扱いを受けた」と振り返っており、無謀な渡米により目を覚ますのではなく、むしろ米国への根拠のない盲信を強めてしまったようです。
 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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