犯罪者名鑑 畠山鈴香 3


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 奇妙な行動

 

 2006年4月9日夕方、鈴香から能代署に、1人娘の彩香ちゃんが帰ってこないと、110番通報がありました。

 翌日から大規模な捜索が行われ、地元の大きな川、藤琴川のほとりで、彩香ちゃんの遺体が発見されました。

 悲しみにくれる鈴香。近隣住民は、娘を亡くした不幸な母親に同情の目を向けます。

 遺体に目立った外傷が発見されなかったことから、警察は彩香ちゃんが、河原で遊んでいるときに誤って落ち、溺死したと判断。彩香ちゃんの死は、事故として片付けられるはずでしたが、これに待ったをかける人物がいました。

 彩香ちゃんの死で、当初、悲劇の母親という目で見られていた、鈴香その人です。

「彩香が事故に遭ったとは思えない。事件として捜査してほしい」

 彩香ちゃんは事故で死んだのではなく、何者かに殺されたのだと主張する鈴香は、A4版のプリントを刷り、住民に情報提供を呼びかけました。

 いまも、どこかで生きているであろう彩香ちゃんを探すというなら、快く協力しようという人も多かったでしょう。しかし、すでに亡くなった娘が、亡くなる直前にどこでなにをしていたのかが知りたいというのでは、いまいち、人の情に訴えかけるものがなく、近隣住民はむしろ、これを機に鈴香を気味悪がるようになっていきました。

 近所にプリントを配布した直後、鈴香は彩香ちゃんの母校の運動会を、遺影を持って観覧しに訪れました。

 つい最近にも、高校在学中に亡くなった生徒の父兄が、卒業式の観覧に訪れたところ、部外者として門前払いを食らい、トラブルになったという問題がありましたが、子供を失くした親が母校の催しに参加したいという気持ちは、私にはいまいちよくわかりません。亡くなった子供の思い出が残った場所になど、近寄りたくもないと思うのが親の情ではないのでしょうか。
 
 案の定というべきか、鈴香は運動会に出たときに、「彩香はもういないのに、他の子が楽しそうにしているのが許せない」と、邪な感情を抱いたことを告白しています。自分の判断で出席しておいて、なんとも勝手な話ですが、鈴香のような人間の行動を、論理的に理解しようとするのは無駄というものかもしれません。

 このようなことがあり、老人や主婦など、日頃から家にいる人たちは、段々と「鈴香はどこかおかしい」という目で見るようになっていきましたが、普段、会社で働いているお父さんはそうでもなく、依然、鈴香に同情的な目を向ける人もいました。

 彩香ちゃんより二歳下ですが、よく一緒に遊んでいた豪憲くんの父、勝弘さんは、鈴香を哀れに思い、彩香ちゃんが豪憲くんとシャボン玉遊びをしているときに撮影したビデオを、鈴香に手渡しました。純粋に、子を失くした母親に対する善意からの行動でしたが、ビデオを見た鈴香は、あらぬ感情を豪憲くんに向けてしまうことになります。

「彩香はもういないのに、ほかの子が元気にしているのが許せない――」

あやか



 代理ミュンヒハウゼン症候群



 この事件が特異だったのは、警察がすでに事故として処理した事件を、彩香ちゃんを殺害した鈴香本人が、他殺だとして騒ぎ立てたことにありました。

 親の情も何もないような話になりますが、もし、この時点で鈴香が何も主張せず、警察のシナリオ通りに動いていれば、鈴香はずっと悲劇の母親という扱いで、刑務所にも入らずに済んだのです。

 なぜ鈴香は、わざわざ自らの罪を暴くような行動に出たのか。

 90年代のアメリカで、難病と闘う娘と、それを支える健気な母親として、連続ドキュメンタリーの企画で人気を博していたある母娘がいました。しかし、真相はとんでもないもので、母親は娘の点滴のチューブに毒物を入れるなどして、意図的に娘の体調を悪化させていたのです。 

 子供やペットなど、自分が支配できる弱い対象を傷つけ、その庇護者ということで注目される自分に酔う――代理ミュンヒハウゼン症候群という、精神の病です。

 当初、一人娘を不慮の事故で失った悲劇の母親として注目を浴びていた鈴香でしたが、日が経つにつれ、周囲の注目は他に移り、自分を忘れていくようである。そこで鈴香は、周囲に対し、自らの存在をアピールし始めた。そのように考えれば、鈴香がわざわざ自分の罪を暴くような行動に出たのも納得がいきます。

 しかし、鈴香の意図に反して、周囲はむしろ、鈴香を気味悪がるようになっていった。これに対しての不満が、豪憲くん殺害に繋がっていった可能性も考えられます。


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 米山豪憲くん殺害事件

 彩香ちゃんの死から一か月が経った2006年5月16日、鈴香は、「彩香がもっていたピカチュウのおもちゃがあるので、もらってほしい」と、家の近くを歩いていた豪憲くんを、自宅に誘い込みました。

 豪憲くんが、嬉しそうにピカチュウのおもちゃを手に取った――。このとき、鈴香は、運動会に出たとき同様に、「彩香はもういないのに、豪憲くんが楽しそうにしているのが許せない」という感情を発作的に抱いたといいます。

 そして鈴香は、豪憲くんの首に手をかけた。殺害した豪憲くんを、近くの藪に打ち捨てた――。

 このあと明らかになる、彩香ちゃん殺害事件でもそうですが、鈴香の仕業とされる二件の犯行では、「殺意の有無」という点が争点になりました。

 殺害は計画的だったのか?それとも、発作的だったのか。人の命を奪うという結果は同じでも、そこに至るまで、犯人の頭の中にどういう心境があったかというのは意外に重要で、場合によっては、殺人が過失致死となり、刑期が半減されるということもあります。

 豪憲くん殺害事件において、鈴香は豪憲くんを、最初から殺害するつもりで家の中に招いたのか。

 それとも、他意はなく家の中に招いた豪憲くんが、無邪気に振舞っているのを見てから、殺意を抱いたのか。

 鈴香は後者を主張し、それが支持されたことで、子供を二人も殺害した事件では甘い判決といえる無期懲役が確定しますが、裁判官が、発作的に殺意を抱いたという鈴香の主張を受け入れたのは、鈴香という女の行動が、実際まったく論理的ではなかったからでしょう。

 娘の殺害が事故として処理されそうになったのに、あれは殺人事件だったのだと騒ぎ立て、自らの罪を暴こうとする(にも関わらず、自首はしない)。娘が参加するはずだった運動会に、よせばいいものをわざわざ参加して、「彩香はもういないのに、ほかの子が楽しそうにしているのが許せない」という感情を抱く。しかし、その彩香ちゃんを殺害したのは、当の鈴香であった。

 文字に表すと、まるで支離滅裂です。こんな女に、計画などがあったはずがなく、発作性や、精神の病による行動と疑うのが、やはり自然でしょう。

 鈴香も哀れな女ではあるのですが、もっと哀れなのは、鈴香に狙われた彩香ちゃん、豪憲くんの二人です。

 このサイトには載せませんが、事件後、鈴香宅で撮られた「心霊写真」は、マニアの間で「ガチモン」であるとされているようです。死者の霊魂が写真に写り込む。そのようなことが本当にあるのか、私にはわかりませんが、彩香ちゃん、豪憲くんが、強烈な無念の思いを残してこの世を去ったことは間違いありません。
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ネットストーカー対策

 かれこれ二年もの間、私に粘着を続けているネットストーカーがいます。

 これまで、ずっと無視という手段をとってきましたが、まったく効果はなく、ずっと付きまとわれて迷惑しております。いま、気持ちに一区切りをつけて出直そうというときに、このような存在を認識しなければいけないというのは非常にストレスで、なにか、有効な対策はないかと悩んでおります。

 好意を踏みにじられた結果、愛憎を抱いてしまったということなら、私にも覚えがあります。

 しかし、最初から荒らしと認定されるような書き込みをし、それを削除されたことを恨みに思って粘着を続けるという思考回路は、私にはまったく理解できません。はじめから悪意をもって接してくる以上、話し合いの余地もないのでしょう。平和的な解決はあり得ないようです。

 私が憎いなら、それをバネに努力をすればいいものを、それをせず直接対象に付きまとい続けるということは、もう何をどうしても浮上のチャンスがない年齢であり、また、私程度の人間を妬ましく思うほど、孤独で何のとりえもない人間である。

 ネットストーカーについてわかっているのは、ただそれだけです。
 
 携帯端末から書き込んでいるらしく、IPアドレスがいつも違うためブロックすることもできません。

 いまの私には、皆さまにネットストーカーの書き込みを見させて不快な思いをさせてしまい、申し訳ないと謝ることしかできません。

 今後、対策を検討していきます。

  

新作小説


 一時は書く気力も萎え、コメントの返信もままならぬ状態でしたが、今は安定し、メンタルも含め、一から作り直していこうという気になっています。

 昨年の五月から、こちらの方の定期更新はやめ、文学賞の応募に専念するというスタイルでやっていましたが、こちらの方をたまに更新したときにも何人かの常連さんが反応してくれ、そのたびに大いに励まされました。今現在、派遣社員として働き、職場での人間関係はまずまず良好ですが、やはりこちらの読者さんと接するときの私の方が、本当の私であると実感できる。

 そこで、また小説を、サイトの方で書いていこうと思っています。一年前は、こちらのコメント数が少なければ逆にモチベーションが下がることを危惧していましたが、かつてに比べて依存度はかなり弱まっており、今なら一から始める気持ちで向き合えるのではないかと思っています。

 具体的には、これからひと月に一回、原稿用紙70枚前後の短編をUPし、それを最終的に、350枚前後の中編に纏め上げるという形(湊かなえさんの「告白」に近い)で発表していきたいと思います。

 打ち続く出版不況で、出版社は確実な利益を考え、実力よりも知名度で本を出す傾向が強く、新人発掘の際も、売れ筋に近い作品を書ける作家が優先され、私のようなアクの強いタイプは弾かれやすいという情報もあります。

 それでも、私は自分を貫き通すしかない。アクの強さも、中途半端なら埋もれる原因になってしまうかもしれないが、個性が圧倒的になれば、逆に注目される理由になると信じ、前に進んでいくしかありません。

 この一年の修行で、上達できた部分は大きかったと思います。特に、作品をキレイに終わらせ、纏めるという能力は確実に向上できた。単純労働を続けるのは不本意ながら、これまでに比べてうまくやっており(人間関係、仕事を適度にサボりながら、キッチリやっているように見せる)、その視点から、新たな世界も開拓できました。

 読者のみなさんに楽しんでいただけるよう頑張りますので、皆さんもどしどしコメントを寄せてください。皆さんのコメントの数が、私の励みになります。

 常連の読者さんはもちろん、新規の読者さんのコメントもお待ちしております。

 鈴香名鑑の更新も行っていきます。

犯罪者名鑑 畠山鈴香 2


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 離婚

 ニ十歳の夫と、二十一歳で結婚生活を始めた鈴香でしたが、綻びはすぐに見え始めました。

 若い夫婦の生活設計は、最初から破たんしていました。

 夫のKは、二十歳という年齢で、スポーツカーを二台も所有していました。当然、鈴香の父の会社で働く給料だけでローンを工面できるはずもなく、夫婦はサラ金からの借金で首が回らなくなっていきます。

 鈴香も家事が苦手で、とにかく外に着ていく服の洗濯だけは欠かしませんでしたが、掃除や片付けはおろそかになり、部屋の中は、常に足の踏み場もないほど散らかっていたといいます。

 やがて彩香ちゃんが生まれましたが、夫婦に育児能力がないことは明らかで、彩香ちゃんの世話は、主に鈴香の実家で行われていました。とくに夫のKは、最初から蚊帳の外に置かれていたようです。

 完全な自業自得なのですが、自分が除け者にされていると感じたKは、次第に家庭以外に癒しを求めるようになり、浮気をするようになっていきました。これで鈴香も愛想をつかしたのか、二人は結婚してわずか七か月で、離婚を選んでしまいます。

 鈴香は二十一歳という年齢で、シングルマザーとなってしまいました。

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 シングルマザー


 私が世の中でもっとも誤解に晒されている人種のひとつだと思うのが、シングルマザーと呼ばれる女性たちです。

 シングルマザーの人と接した経験は何度かありますが、私が感じた印象は、彼女たちは皆、普通のお母さんと一緒か、それ以上に頑張っているということです。

 シングルマザーは男を見る目がない。結局、彼女たちは、自分の子を不幸にしているのだ、などと非難する人間がいるのも事実です。しかし私は、彼らが言っていることが事実だとしても、それは見る目が悪いからではなく、彼女たちが普通以上に優しい性格だから、何かと問題の多い男を受け入れてしまったのではないか、と考えます。そう思うほど、私が知るシングルマザーたちは、人格的には愛すべき女性ばかりでした。

 鈴香も少々、考えの浅はかなところはあるようですが、根っからの悪人かというと、そうではないように思います。盗癖などもあって、トラブルを起こすことは度々あったようですが、悪意をもって人を陥れるようなことはなく、基本的にはいつも受け身の側でした。卒業文集に寄せたメッセージも、あれほどの悪罵を浴びながら、大変健気なものでした。

 ただ、やはり、もともとエネルギーに乏しい鈴香には、一人の子供を育てていくということは荷が重かったようです。

 鈴香は実家の援助を受け、職場を転々としながら彩香ちゃんとの生活を維持していきますが、段々と鬱症状に悩まされるようになり、精神安定剤に頼るようになっていきました。

 鈴香の勤務先での印象は場所によって様ざまですが、一番長続きしたパチンコ店では、勤務態度は真面目で、キツイ仕事も厭わずやり、別の職場で問題になった盗癖や虚言癖もなく、人間関係も良好だったようです。

 このパチンコ店で、鈴香は7歳年下の男性、Tと付き合っていました。彩香ちゃんの父親であるKと同様、やはり、どこか頼りないところのある若者だったそうです。

 私も実際に、メンヘラ気質のある女性が、なぜか年下の男ばかり選んで、短期間に五人も六人もの男を渡り歩いていた(交際以前にフラれたのが多かったようですが)のを見て、不思議に思ったことがあります。そういう女性は、年上の頼りがいのある男性と付き合った方がいいのではないかと思ったのですが、話を聞いてみると、彼女にも鈴香と同様、父親に絶対的な服従を強制されていた過去があったことがわかりました。

 父親から過度の抑圧を受けてきた女性には、年下の男を引っ張っていくことで、これまで抑えつけられていた自尊心を得たいという願望があるようです。鈴香はTを家に招くこともあり、Tは彩香ちゃんとの仲も良かったようですが、これがマスコミに、「連れ込んでいた男と一緒になるため、邪魔になった彩香ちゃんを殺した」と、希代の悪女のレッテルを貼られることに繋がってしまいます。

 相変わらず片付けは苦手で、食事もインスタントものが多かったそうですが、近所にあった実家の助けも受けながら、鈴香なりに懸命に育児と仕事を両立させ、彩香ちゃんは、なんとか小学校に上がるまで成長できました。

 しかし、その小学校で、彩香ちゃんは、イジメを受けるようになってしまいました。校庭のシーソーに「クソ、バカ、シネ、畠山」などという言葉が書かれてあったのです。

 鈴香は自分がされたイジメを思い出したのか、担任教師に食ってかかり、自分が教室に乗り込んで、直接犯人捜しもやると強く主張しましたが、担任は「イジメの事実は確認できなかった」と主張し、肝心の彩香ちゃん自身も、「べつになにもない」と、自分がイジメにあっていた事実を否認します。

 子供は自分がいじめられていることを親に話したがらないものです。鈴香自身もイジメを受けていたことを考えると、この辺りの地域性の問題で、イジメが伝統のようになっていたのではないかとも疑えるのですが、結局、この件はうやむやになってしまいました。

 こうした現状に疲れたのか、鈴香はあるとき、大量の精神安定剤を飲んで、自殺を図ってしまいました。

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 自殺未遂



 360錠もの精神安定剤を飲んで自殺を図った鈴香。しかし、長年の精神安定剤の常用により、身体に耐性ができていた鈴香は、致死量に当たる量を飲んでも死ぬことはできず、入院もせずに、数日で回復してしまいました。

  鈴香は自殺するに当たり、数少ない友人に、「ありがとう。バイバイ」とメールを送っていました。また、彩香ちゃんには、「10年後の彩香へ」と題し、離婚調停の書類と父親の写真を同封したうえで、「大きくなって会いたくなったら、裁判所を通して会いに行きなさい、途中で挫折するお母さんを許してください」といった内容の遺書を書き残していました。そして、パチンコ店で知り合い、六年間付き合った恋人のTには、「死体を発見させることになって申し訳ない」と書いたメッセージを残していました。

 鈴香なりの、関係者への誠意にも見えますが、どこか身勝手で、少女趣味のようにも見えます。

 私は自殺という手段を選ぶ人を、短絡的で乙女チックな人だと思います。死ぬという手段は大変なように見えますが、実際には、悩みから逃れるうえでは、もっとも安易な手段です。

 私も一時は自殺しかないと思った状態から、四年間も底辺の労働をしながら、報われない作家修行を続けていますが、その感、生きていて良かったと思ったことは、別にありません。妻と出会ったこと、おいしい御飯を食べたこと、素晴らしい景色を見たこと、好きな犬との触れ合い・・それらのことも、生きる上での艱難辛苦と相殺すれば儚い幸せであり、四年前に死んでも別に同じだったかな、と思う程度のことです。

 それでもどうにか生きているのは、死んだところで、何の解決にもならないことがわかっているからです。死ねば苦痛からは逃れられますが、苦痛の根本原因を取り除いて解決するには、生きて、もがき続けるしかない。

 それがわかった上で死ぬというのなら仕方ない、と私は思いますが、果たして鈴香はそこまで考えていたかどうか。

 彩香ちゃん事件から遡ること半年。もうこの時点で、鈴香は自分が何に苦しんでいるかもわからないくらいの、深い靄の中にいたのかもしれません。

犯罪者名鑑  麻原彰晃 24

 
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  ドイツ旅行

 
 坂本弁護士を殺害することに成功した麻原は、幹部たちを連れ、西ドイツに旅立ちました。旅の目的は、警察の捜査を恐れ、海外に一時身を隠して様子を伺っていたのだと言われていますが、麻原はもともと海外旅行が大好きで、ただの観光目的だった可能性もあります。

 麻原はドイツの他に、中国、インドなどを歴訪しており、中国に滞在していたときには、自分は貧農の子から皇帝にまでのし上がった、明の朱元璋の生まれ変わりだということを語っていますが、同じく、ホームレスという最下層階級(孤児恩給により食う金には困らなかったそうですが)から欧州の覇者にまで上り詰めたヒトラーにも、何らかの憧れを抱いていたのかもしれません。

 ドイツのホテルで、坂本弁護士宅に指紋を残した村井と早川は、麻原から、指紋を焼いて消すように命じられました。早川は熱さに耐えかねて、焼いた鉄板から何度も指を離してしまったそうですが、「麻原愛」溢れる村井は「グルのために、真理のために!」と叫ぶと、ずっと鉄板に指を押し当て、指紋をキレイに一発で焼いてしまいました。

 陰険な性格で、信徒のほとんどから嫌われていた村井ですが、嫌われ者ゆえに、唯一自分を大事にしてくれる麻原への尊崇の念は、誰よりも強かったようです。

 しかし、熱さと痛さに耐えたのは何の意味もなく、日本に帰って、火傷が治ると、指紋はすべて浮かび上がってしまい、結局、村井と早川は、医師である中川智正の手で、指紋を消去する手術を受けることになりました。

 手術を終えた後の痛みは半端ではなかったようで、早川は術後しばらく、端本悟から身の回りの世話を受けていました。村井も何度も、中川に痛み止めを所望していましたが、中川はプルシャの件で村井にイヤミを言われたのを根に持っており、薬があるのに渡さなかったりと、「適当に意地悪」していたそうです。


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 総選挙出馬


 日本に帰ると、麻原は、坂本弁護士を殺害するそもそもの動機となった、総選挙出馬の決断をします。

 出馬の目的は、表向きには、「マハーヤーナ路線」ということになっています。マハーヤーナとは、大乗の教えに乗っ取った救済方法のことで、オウム流にわかりやすく言えば、できるだけ平和裏に、犠牲が出ない形で世界を救うということです。

 実際には、おそらく創価学会の例を見て、政治に関与することで、教団のますますの拡大を図ろうとするビジョンがあったのでしょう。それにしても、選挙に出馬するには多大なリスクがあるもので、おいそれと決断できることではないと思いますが、麻原は成功に驕り過ぎて誇大妄想に走ったのだとか、反対に、当時、教団は暴力団に付きまとわれて深刻な財政難に陥っており、麻原も追い詰められていて、一発逆転を図ったのだ、という見方もあります。

 消費税廃止などの公約を掲げ、「真理党」として選挙に打って出たオウムでしたが、マスコミからは、当選の見込みが少ない泡沫候補の扱いを受けており、報道の面では不利な状況にありました。事態を打開するため、オウムは、様々な努力を開始します。信者の住民票を選挙区に移す、深夜や早朝に外に出て、ほかの候補者のポスターをはがす(新聞配達のバイクが通りがかったときは、「ラジオ体操のフリをする」)。世界の救済を謳っているわりには、やっていることが地道すぎます。

 オウムが票を得るための努力の多くは、使い古されたありがちな手段であったり、救済者を名乗っているにしてはあまりにもセコイ手段でしたが、唯一、得票には結びつかないまでも、人々の心に深く突き刺さり、社会に大きな印象を残したものがありました。次項でそれを紹介します。

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 オウムソング



 選挙戦の中で、渋谷の街では、麻原が歌う「オウムソング」が、毎日のように、街宣車のスピーカーからかき鳴らされていました。駅前では、麻原のお面を被った信徒たちが、オウムソングに乗ってノリノリでダンスを踊るなどして、本当にこの国を変えてくれると期待されていたかはともかく、人々の視線は集めていました。

 オウムソングはユーチューブなどで、今なお多くの人に視聴されています。今回は代表的なオウムソングをいくつか取り上げてみたいと思います。

 まずは、

 「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」

 でおなじみの、「尊師マーチ」。おそらく、もっとも有名なオウムソングで、 私や私の少し上の世代なら、小学生のころ、音楽の時間に、リコーダーや鍵盤ハーモニカで演奏した経験がある人は沢山いると思います。

 この曲はオリジナルバージョンと選挙バージョンの二種類とがあり、選挙バージョンの方には、「若きエースだ」という歌詞も出てきますが、選挙のとき、実は麻原はまだ34歳でした。髭面、肥満体のふてぶてしい姿はどうみても50くらいにしか見えませんが、国会議員としては若手も若手、今の麻生太郎や小沢一郎などから見れば、「小童」といっても差し支えない年齢だったのです。

 34歳といえば、ちょうど「嵐」のメンバーと同じ世代です。麻原が「嵐」に混じって、ステージで歌を歌っていても、おかしくはないということです。あの髭面の豚親父が、「嵐」の連中のセンターに立って、武道館で「尊師マーチ」を歌い、ジャニーズファンの女どもに悲鳴を上げさせているところを、私は見てみたいです。

 続いて、「しょしょしょしょしょしょしょしょーこー」でおなじみの、魔を祓う尊師の歌。これもリコーダーや鍵盤ハーモニカで演奏しやすく、小学生に大人気の曲でした。子供はくだらないことを考えるものですが、隣のクラスで、しょうこちゃんという女の子をからかって泣かせていたり(私じゃないよ)、「インコ真理教」とか意味もなく言って喜んでいたりしていたのを、私はよく覚えています。

 「超越神力」は8分もある長い曲ですが、宗教の歌というよりも麻原の人生そのものを歌っているような深みが感じられ、私がオウムソングでもっとも好きな曲です。歌詞はオウムの特色である「自力救済」を歌ったもので、このように「自分も救世主になれる、世界を救える」と、善行がしたいという人の心を巧みに煽ったのが、オウムがあれほど信徒数を増やした理由の一つでした。

 「私はやってない、潔白だ」で知られる「エンマの数え歌」は、よく、一連の事件でオウムに疑いの目を向ける警察や世間に対する弁解のため作られた曲と勘違いしている人がいますが、実際には、事件よりも前に作られた曲で、地獄に堕ちた魂のストーリーを歌った内容です。麻原が歌っているのもいいですが、フリーゲームソフト「麻原の野望」で、ラスボスの森総理大臣との戦いで流れるアレンジが最高の神曲で震えます。ニコニコ動画で今も聞けると思います。

 オウムソングはどれもメロディが単調で、フレーズが耳に残りやすく、宣伝のための曲としては非常に有効で完成度の高い曲だと言われています。こうした優れた曲を作れる人材が揃っているというのは、オウムにはやはり、高学歴など能力のある人を引き付ける何かがあったのでしょう。

 選挙では惨敗しましたが、オウムソングは多くの人々の脳裏に、麻原やオウムという団体の記憶を刻み付けました。

 布教に音楽を利用したのはマンソン・ファミリーなどと同じ手法です。90年代に入り、教団は信者数の上でのピークを迎えますが、オウムソングを聞いたのをキッカケにオウムに興味を持ち、オウムに入ったという人も、少なくはなかったはずです。

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 惨敗

 
 選挙に出馬し、平和路線により世界を救済しようという決意も空しく、真理党は党首の麻原さえ、わずか2000にも満たない票しか得られず、最下位当選者の得票数にも60倍近い大差をつけられる惨敗を喫してしまいます。

「この世界はもはや、平和的な方法では救済できないところまで来ている。世界を救うためには、もはや手段は選んでいられない」

 選挙戦の惨敗を期に、麻原は、なるべく犠牲が出ない形で、世界を救済しようというマハーヤーナ路線とは対極的な「ヴァジラヤーナ路線」へと変更する方針を打ち出します。

 ヴァジラヤーナとは、金剛乗に基づいた救済方法で、オウム流の解釈でいえば、必要とあらば過激な手段をとることも辞さず、救済のためなら、少々の犠牲は仕方ないという考え方です。これ以後オウムは、まさに「ヘルタースケルター」に備えて過激な道に走り出したマンソン・ファミリーのように、「ハルマゲドン」に備えるとの名目で、サリンなどの危険な化学兵器の製造や、軍事訓練といったテロ行為の準備を、着々と進めていくようになるのです。

 振り子が右から左に振れるような極端な変化に至った背景には、選挙に惨敗したことで世間に逆恨みを抱いたとか、供託金の没収により資金難に陥った教団が、破滅に向かって動き出したのだとか色々言われていますが、ヴァジラヤーナの教え自体は選挙の前からあり、麻原がこのとき突然、悔し紛れに言い出したものではなかったようです。

 修行により神秘の力を獲得しよう、世の中の困っている人たちを救おうと決意してオウムに入ったはずの人が、どうして殺人という、もっとも残虐な行為に走ってしまったのか。そう考えたときに、

「人を救おうと思うのなら、まずお母さんから救ってあげたらどうだろう?」

 坂本堤弁護士の言葉が、胸に響きます。マザー・テレサも言っていますが、近くにいる困っている人を見捨てて、遠くの他人を助けたいと考えるのは、「偽善」ではないかと思います。

 千里の一も一歩より。いきなり大きなことを考えている時点で、彼らは、本当に人を救いたいのではなく、人を救う自分に酔いたかっただけではないか。ある意味、麻原のような悪人に付け込まれてもおかしくない、邪な考えの持ち主だったのではないか。

 厳しい見方をすれば、そういうことになります。

 第四章 完
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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