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マイペース

すばらしき世界


 さしあたり書くことがなく自分の思っていることなどを書いていきます。

 まず自分の近況ですが仕事と趣味の好サイクルに乗り、そこそこ充実した毎日を過ごせています。暑さも和らいで外に出やすくなり、食べ物もおいしく、新型コロナワクチンの接種も完了しいよいよ行楽盛りとなり気分は高揚しています。

 一方で原稿に向かう時間は増える気配がありません。PCに向かっても筆が進まないことが多く、数時間ネットサーフィンをしただけで終わるということもしばしばです。しかし、そういうことも気にせず、マイペースで活動は続けています。

 一応、アンテナは常に張っているつもりです。趣味を満喫するのもその一環であると考えています。いつかは、いずれは自分の作品を世の中に出してみたいという夢は消えたわけではありません。しかし今はとにかく日常の消化が上手くいっており、それを安定させることに意識が傾いています。  

 30代も半ばとなり、思うのは受け流すことと逃げることの大切さです。仕事の悩みの9割は人間関係と思いますが、うるさいことを言われても右から左に聞き流してしまえばストレスとはならない。たかだか1人や2人との仲が悪いだけで、自分を変えなきゃといった風に思いつめるのは馬鹿馬鹿しい。上に言ってそいつと一緒にならないようにしてもらえばいいだけの話。

 悩みを根本から解決するのは難しいかもしれませんが、受け流す、逃げるといった対処法はいくらでもあるもの。小さなことで思い悩まず簡単に処理して、楽しいことに目を向けて生きるということはできるようになったのかなと思います。

 そうした中、最近観た中で一番印象に残った映画は「すばらしき世界」という、人生の大半を刑務所で過ごした男が社会に適応しようともがく姿を描いた作品。「日本の頂点にいる俳優なのに、画面の中にいるのは社会の底辺であがく三上という男だけ」というレビューを見ましたがまさにその通りの役所広司の鬼気迫る演技とともに、今の世の中で生きるということはどういうことかを考えさせられる内容でした。

 社会は矛盾や理不尽が多く生きづらい。でも、空は広い。という作中に登場するセリフが良い(でも、の後がクドくなく短いのが良い)。人生は旨味よりも苦味の方が多いものですが、捨てるには勿体ない。どうせ一度切りなのだから、楽しいことに目を向けて生きていこうと努めていきたい。

 もちろん10代半ばから20代に感じていた人生の苦い部分や人の愚かな部分を忘れる気はなく、
いずれ世に出られるとすれば人間のそうした面を描いた作品で有名となりたい。そうした面をまったく考えず、キレイごとばかりで生きてきた人間は、その言葉とは裏腹にむしろ人に優しくできないというのは私がこれまでずっと述べてきた考えであり、今も間違っているとは思いません。

  サイトチェックは数日に一度は行っており、ブログ拍手などもチェックしていますが過去の記事に拍手がついているのを見ると、その記事を読み返してみたりしています。

 過去の文章を読むと考え方が偏っていたり、書き方がおかしかったりするものもありますが、例えば酒鬼薔薇の母親を毒親扱いして完全否定し、酒鬼薔薇を赤子に戻して職員らと疑似家族を構成し愛情で包みなおすなどといった矯正プログラムは100%間違いであったことや、加藤智大が動機として語るネットの掲示板上のトラブルというのは深く分析してもあまり意味がないことなどは今も自信を持って正しいと言えることで、20代でそういう考察ができたことはよかったと思います。

 今後書いていくことですがまだ決めていません。新しい小説を書いていきたいとは思うのですが、partypeopleを応募用に直す作業の目途が立っておらず、当分サイト上で書いていくことはできそうもありません。

 しばらくは思いついたこと、日常や観た映画のことなどをちょこちょこと書いていったり、起きた事件のことなどを話題にしていく形で考えています。その場合更新頻度の方は少し上げられると思います。何でもいいのでコメントの方お願いします(最近またいつもお世話になっている常連さん以外からのコメントが届かなくなっています!)。

 よろしくお願いします。
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犯罪者名鑑 北九州監禁殺人事件 14

まつな


 息子

 事件から20年の月日が経ち、ネット上での誹謗中傷に耐えかね、弁明の機会を求めた松永と純子の長男がメディアに登場し、事件や自分の半生のことを語り始めました。

 監禁生活中、松永は二人の息子に冷淡に接し、殺された被害者たち同様に食事や排泄の制限を強制し、通電も行っていました。松永は物心がついた息子に、元妻との間に生まれた子供の写真を見せては「こいつは出来が良かったが、お前はダメだ」などとよく言っていたそうです。純子も松永の目があったせいで子供たちを可愛がることができず、松永と一緒になって子供を叱るときもありました。子どもたちは両親から愛情らしいものは感じられなかったといいます。

 松永と純子が逮捕され、子供たちが保護されたとき、長男は小学四年、次男は小学校に上がる前の年齢でした。松永の二人の息子は両親が指名手配中に産まれたことから戸籍を持っておらず、長男は恭子に教わってひらがなやカタカナの読み書きはできましたが、漢字はまったく読めませんでした。学力の遅れを考慮され、長男は小学三年生のクラスに入りました。

 学校へは施設から通いましたが、施設の仲間や職員とは反りが合わなかったようで、中学卒業後に定時制高校に入ると、施設を出て友人の家を転々としたり、住み込みで働くなどしていたようです。住所不定の者を通わせるわけにはいかないと定時制高校も中退となり、暴力団の管理するタコ部屋で劣悪な環境で働いていたこともあったようですが、現在はちゃんとした会社に入り、結婚もして安定した生活を送っているようです。

 インタビュー内容から見る限り、松永の長男は普通の若者だと思います。学齢期には多少の非行や適応障害もあったようですが、普通の家庭に育った子どもでもある程度のことで、荒れた暮らしの中でも信頼できる友人や奥さんを持った彼は、平和な人間関係形成のできる立派な社会人です。

 ただ、「他人と話しているとき、それを俯瞰して見ているもう一人の自分がいる」ということを語っており、人と楽しく喋っているようでも、どこか冷めた心でそれを客観的に眺めている部分があって、そんなところが父親に似ていると感じるのだそうです。

 「父親はそれを自分のいいように使ったが、自分はそれを人のために役立てたい」彼はそのように決意し、両親とは反対の真っ当な生き方をしようとしているようです。

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 20年後

 父親である松永の方はといえば、逮捕されてから20年も経った今も、無罪放免となることを諦めていないようです。

 松永の息子はメディアに登場するにあたり、両親にその旨を伝えに拘置所に面会に訪れたのですが、その際、松永に自分の死刑判決を覆すための署名を集めることを懇願されたそうです。

 最後まで自分が助かることを信じて疑わない、その不屈の闘志は見上げたものですが、果たして諦めないということが、精神安定上本当に良いことなのか。

 己はもう助からないことを悟れば、反省はしないまでも、これ以上無駄な足掻きをするのはやめられます。死刑囚に時間は無数にあり、その時間を趣味や読書に使って穏やかに過ごすことができます。

 死刑の順番は、死刑回避を狙って様々な動きをする死刑囚の方が回ってきにくいといい(人権派が騒ぎを起こすため)、松永の努力はある意味実を結んでいるともいえますが、絶望の扉をこじ開けようと足掻き続ける期間が延びるのが果たして幸せなことなのでしょうか。

 松永の人生はおよそ20年ごとに、恵まれた容姿と知能にモノを言わせてクラスの中心人物だった学生時代、詐欺と暴力を重ねて好き放題にやった青年時代、獄中の人となった中年以降と三章に分けられますが、これから獄中での人生が長くなっていくことになります。その人生を、けして叶わぬ無罪放免を信じて過ごすよりも、己のやったことの結果を受け入れ、穏やかに最後のときまで暮らした方がマシになることに、おそらく気づくことはないのでしょう。

 純子は己の運命を受け入れ、刑務所で穏やかな気持ちで暮らしているといい、この点でも二人の結末は対照的なものとなりました。

おがた


 人が人であるために

 途中でも書きましたが、松永ほど邪悪にはならなくても、一定の条件が揃えば、普通の人がサイコパスのように人を酷い目に遭わせることもありえるといえます。

 人に酷いことをしないために究極の方法は、極力人と関わらずに生きていくことですが、私はそういう考え方が良いものとは思いません。

 松永も多数の女性と関係を持ちましたが、恋愛などは、時には嫌われる勇気をもって己のエゴを押し通さなければ前には進まないもので、あまり人に迷惑をかけないことばかりを考えすぎれば、人生が味気ないものとなってしまいます。人と付き合う上で、常に相手のことを考え自分の希望は抑えるというのも良いかもしれませんが、松永の洗脳を最も強く受けた純子がまさにそういう性格の持ち主であったことはすでに紹介したところです。

 何事も極端に振れ過ぎるというのはよくありません。適度に人と交わり、自分より他人を優先するのも良いですが時には自分の希望を主張するといった方が、人生が豊かになり、また洗脳の被害に遭う危険を減らせると私は考えます。
 

犯罪者名鑑 北九州監禁殺人事件 13

マツダ


 一審

 逮捕されてから、純子は潔く自分の罪を認め、素直に自供を始めました。当初は相変わらず「松永に迷惑をかけられない」という思いがあったようですが、月日が経つにつれて松永への忠誠心は薄れ、松永に不利になる供述もするようになりました。

 恭子も毅然とした態度で法廷に赴き、答えにくい質問にもしっかりと答えて事件の全容を明らかにすることに貢献しました。

 ただ一人、松永だけは自らの「無罪」を主張し、見苦しいともいえる態度で法廷で弁舌を振るいました。

「緒方家の人間に通電をしたことはありますが、しつけの意味でおこないました。それを「秩序型通電」と言います。つまり、ルールを守ってもらうために通電するのであって、けして虐待行為ではありません。回数は少ないですし、大半は手足にですし、事前にかならず理由を説明して相手が納得してから、つまりインフォームドコンセントをしてから通電していました。それぞれの死亡前に私が集中して通電していたという事実もまったくありません」

「純子に通電したことは認めますが、純子の証言のように過酷なものではありません。自分は純子にとってカミナリ親父的存在だったので、いろんな注意点を守ってもらうための「げんこつ」のつもりでしていたのであって、けして虐待ではありません。純子も納得していました」

「まず純子の家事のやり方について、私は不満を抱いていました。食事の点でいちばん驚いたのは、腐ったものを食事に出して子供たちに食べさせることです。冷蔵庫の食べ物は純子が管理していましたが、なかにカビがたくさん生えていたし、腐ったものがたくさん押し込まれていました。おふくろも、前のかみさんもそうでしたけど、女性は冷蔵庫の中身を確認してから買い物に行くと思うのですが、純子に関してはそれがほとんどありませんでした。あるものだろうがないものだろうがどんどん買ってきて、冷蔵庫に入れる。大葉なんかは、真っ黒になっているのがいくつも入っていました。冷蔵庫と相性が悪い人間なんじゃないかと思っていたくらいです。何十回も注意しましたし、通電するときもありました。しかし改善はされませんでした」

 こんな調子で松永が喋ると法廷は寄席のように沸き、松永自身も傍聴者が笑うのを見て満足気な表情を浮かべていたといいます。

 松永は大きな声で饒舌に、「事件はすべて緒方家の人々が勝手にやったことで、自分は一切関与していない」というストーリーを語りましたが、松永が首謀者だとする純子や恭子の方が真実を語っているのは明らかでした。

 一審では松永、緒方両被告に死刑の判決が言い渡されました。

じゅんこ


 二審
 

「稀代の連続大量殺人事件で、両被告の刑事責任は、我が国の判事足上、比肩するものがないほど重大である。金づるとして利用価値がなくなった被害者の口封じに七人も抹殺するという鬼畜の所業をやってのけた両被告には、極刑をもって臨むことが不可欠である」

 それが一審で読み上げられた判決文でしたが、傍聴者の多くは、松永の死刑判決には異論はなく、純子には無期懲役判決が妥当であると考えていました。

 裁判官は松永による洗脳の影響があった事実は認めながらも、純子が自らの意志で積極的に犯行に関与したという検察側の主張を否定せず、刑事責任はあくまで松永と同等としました。これに対し、純子の弁護団は、洗脳の影響は検察側が考えるより重大であり、純子は犯行時には心神喪失の状態にあり、無罪が妥当だとして控訴しました。

 無罪というのはいかにも無謀だと思えますが、これは「心神喪失」を主張することで、一審で深く考慮されなかった松永の洗脳にスポットをあて、最終的に無期懲役を勝ち取ろうとする弁護団の法廷戦略でした。

 弁護団の狙い通り、控訴審では松永の洗脳部分が一審よりも掘り下げられる形となりました。松永は自らの暴力を否定しましたが、純子の身体に残った生々しい跡の数々が松永の嘘を暴いていました。ちなみに、純子は相当にハスキーな声音をしているそうなのですが、それは松永の空手チョップを受けて声帯が潰れてしまったからでした。

 当初は暴行を受けていた純子と松永の裁判を別々に執り行うことが予定されていましたが、「松永の本音が聞きたい。本性が知りたい」という純子のたっての希望で、二人の裁判は同時に行われることになりました。初めは松永がペンを取り落とした物音にも恐怖を感じていた純子でしたが、次第にそれを克服し、堂々と証言するようになっていきました。恭子も父の敵を取るために、松永の前で証言しました。

 次第に純子有利に裁判が進んでいく中で、松永の本性を知りたいという純子の願いはかなえられる気配はありませんでした。千に一つも本当のことを言わない松永が、己に都合よく作成したストーリーを饒舌に語るのをみて、純子は松永に「哀れだな」という感情を抱くようになっていきました。

 そして結審前、両被告の最終意見陳述が行われました。

「松永と過ごした20年間は、社会から離れて生活してきました。そのせいか、逮捕されて身柄を拘束されても、特に不自由は感じませんでした。でも、私が松永から精神的に開放されるまでには、長い時間がかかりました。当初は自分の殻をかたくなに守っておりましたが、一日一日いろいろな方と接し、挨拶に始まり、会話を重ねるうちに、少しずつ心が穏やかになるのを感じました。お陰で私は変わることができ、松永の呪縛から逃れることができました」

「いま思うと、すべてが異常でした。今の私は、あの当時の自分が信じられません。どうしてあんなことができたのだろうと思いますが、私が自分で犯した罪には違いありません。

「私には二人の子供がおります。これから一生を通し、広く世間の皆さまに育てていただくことになります。彼らが生きていく社会がより良いものであって欲しい。そして、その思いは今、すべての子供たちに向かっております。どうか子供たちを取り巻くこの社会が、少なくとも子供たちにとって安全で、より良いものであって欲しい。私は、優貴くんと彩ちゃんのことをよく考えます。そして、自分の罪の重さと悔悟の念からそれを切に願うようになりました」

「最後に、このような大それた事件を起こしましたことで、広く世間の皆さまにご迷惑をおかけいたしましたことを心からお詫びいたします」


 純子が声を震わせて便せん数枚の文章を読みあげるのに、傍聴席は水を打ったように静まり返り、感極まって涙ぐむ人もいました。

 続いて、松永の最終意見陳述が行われました。

「私に対してなされた検察官の論告は、純子の供述のみを物語的に取り上げて、のべつ幕無しに延々と書き出しているだけです。死刑になるのを覚悟して供述しているのだから純子の言うことは信用できるという「純子神話」が法廷に現れました。ある著名な作家は「純子については死刑を回避すべきだ」とまで言うようになりました。純子が語った内容はすべて正しく、批判は許されない、というふうに印象と直感で純子の供述を無条件に受け止める人々は、かつての天動説の信者みたいなものです」

「検察官は中立、公正な立場で裁判にのぞみ、収集した証拠についても可能な限り早期に開示し、純子や監禁被害女性の供述についても客観的に分析すると期待していました。しかし検察官は、天動説を信じた人々と何ら変わらぬものと分かりました」

「この裁判はイメージが先行し、そのイメージの中で犯罪が語られてきたと思います。世間一般の人たちの頭の中には、先行したイメージに基づいた判決ができあがっているのではないでしょうか。裁判が証拠に基づいて判決を行うものであることを、はっきり示してほしいです」

「今後はどんな結果になろうとも、訴訟は続くでしょう。関係資料を整理し、控訴審に備えます。刑事訴訟には、事実の認定は証拠によると書いてあります。判決では、証拠によって何が認められ、何が認められないかを論証し、松永弁護団の最終弁論に誠実に答えてください」

 松永は18ページにも及ぶ意見陳述書を、顔全体を真っ赤にしながら大声で、指定時間の10分を遥かにオーバーする40分にわたって読み上げました。傍聴席からはいくつものため息が漏れ、深い虚無感に包まれるような重苦しい空気が流れていました。

 控訴審では一審の判決が覆され、松永には死刑、純子には無期懲役が言い渡されました。

犯罪者名鑑 北九州監禁殺人事件 12

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 逃走

 緒方一家の「滅失」が完了してからも、松永たちの犯罪生活は変わりませんでした。

 新たに既婚女性と知り合った松永は、いつものように結婚生活の悩みを聞き出し、純子を「逃がし屋」として紹介して夫と別居させ、夫から身を隠すために必要だとして金銭を要求する詐欺行為を働いていました。

 どういう心境の変化があったのか、松永はこの女性に対しては、通電などの虐待は行いませんでした。数々の悪行を反省したというのは有り得ず、単に飽きたのか、それとも、それを行わないことが金銭獲得において有利となると判断したのか。結果的にこの女性からは、2年半で3300万円にのぼる金額を搾取できたので、松永の考えは間違ってはいなかったということなのでしょう。

 松永の予想を裏切ったのは、恭子の逃走でした。中学を卒業した後、家事や子守りに専念させられていた恭子は、ある日、松永から激しい暴力を受けた後、「このままでは殺される」と確信し、祖父母の家に逃げ込んだのです。

 このときは、恭子は自分が今まで受けてきた暴力や、緒方一家や父の清志が殺されたことは話しませんでした。日頃から松永に「今まで面倒を見てやった恩を返せ!」と言われていた恭子は、松永に金銭を払えば逃げられると思っており、祖父母に松永に「養育費」を払うように頼み、自分もアルバイトを始めて松永に金を振り込もうとしていたのですが、松永はそれを受け入れず、祖父母宅に恭子を取り戻しにやってきました。

 松永は清志が生きていた時から、清志の姉とは深い仲にありました。清志の姉には家庭がありましたが、「いつか夫と別れて松永と一緒になる」と考えており、それは出会ってから7、8年の月日が経ったこのときも変わっていませんでした。

 似たもの姉弟というか、清志の姉は、東大卒のコンピュータ技士で、京都に高級マンションを保有している、兄も東大卒の医師で東京で開業している、アメリカに永住権を持っている、NASAからも研究員として呼ばれる、などという松永のすぐわかるようなウソを7,8年も信じ込んでいました。

 松永は清志の姉を介して祖父母に近づき、また柔和な笑顔で祖父母から好印象を得ました。亡き清志は、いまは事業に成功して世界中を飛び回っているということになっており、景気の良い話に祖父母はすっかり気分を良くしてしまいました。

 しかし、傍らにいた恭子の顔は引きつっていました。松永が優しく一緒に帰ろうといっても、恭子は頑として聞きません。やがて、今日のところは松永が連れて帰るが、後日に祖父母が迎えに行くということで決着がつき、恭子は連れて行かれましたが、恭子が残した「おじちゃんの話は全部うそ。かならずむかえに来て」というメモを見て、祖父母は後悔しましたが後の祭りでした。

 数日が経ち、恭子から祖父母宅に電話がありました。祖父は「大丈夫なのかい?辛い目にあっているなら、またこっちに逃げておいで」と恭子を諭しますが、恭子はこれまでとは打って変わった口調で祖父を罵倒し始めました。

 恭子がアルバイトの面接を受けるにあたって、祖父が手続きしてやった国民健康保険のことを「余計なことしやがって!」「すぐに取り消す手続きをしろ!」などと言う恭子の声を聞いて、祖父は松永に言わされているのだと判断しました。恭子は祖父の言葉をオウム返しに繰り返しており(傍にいる松永に祖父の言ったことがわかるように)、祖父の松永への疑惑は確信に変わりました。

 松永はアパートに連れ帰った恭子に対し、「この次に逃げようとしたら必ず殺す」「ヤクザを使って必ず探し出す」などと脅迫し、恭子自身の手で生爪を剥がさせるなどの激しい虐待を行いました。長年にわたって虐待を受け続け、犯罪行為にまで加担させられて深い洗脳状態にあった恭子でしたが、彼女は勇気を振り絞って二度目の逃亡に挑みました。

まつながあ


 終末


 2002年1月30日未明、恭子から祖父母宅に「今おじちゃんが風呂に入っているから電話しているの。朝の五時ごろそっちに行くから起きて待ってて」と電話がありました。祖父が問い返そうとしましたが電話はすぐに切れ、そわそわしながら待っていると、「小倉の国道沿いの〇〇という建物の駐車場にいる」とまた電話がありました。

 祖父母がその場所に車を飛ばすと、恭子が駐車場でキョロキョロしながら待っていました。車を停めると、恭子は泣きべそをかきながら後部座席に乗り込んできました。

 祖父は静かな場所に車を停め、恭子に話を聞こうとしましたが、恭子ははっきりと答えようとしません。そこで、祖父はカマをかけてみることにしました。

 血筋というべきか、祖母も恭子が電話で健康保険のことを言いだしたときに「なんて恩知らずなのか!」と素直に怒りを露わにしていたのですが、服部家の中で唯一、祖父が英明な判断力を持っていたことが事件の解決に繋がりました。

「お父さんは殺されてしまって、もうこの世におらんのだろう?」

 祖父の言葉で、恭子は急に激しく泣き出し、事件のあらましをすべて告白しました。
 
 祖父母はただちに警察に通報。恭子は警察署に保護されましたが、事情を聞いても警察は容易には信じませんでした。警察が「もし本当なら前代未聞の事件だ」と訝しむのも無理はありませんでしたが、恭子の足にははっきりと、自分で爪を剥がした痕が残っていました。

 恭子が二回目の逃亡を試みたその晩、さっそく松永が現れました。

 恭子はどこにいるのかと尋ねる松永に、祖父は「知らない、ここにはいない」と答えます。「わかりました。それなら恭子ちゃんと縁を切ってもいいです。実は恭子ちゃんは僕に惚れていて、付きまとってくるのでうんざりしていたんですよ。でも僕から見捨てたのではないと清志さんに信じてもらうために、恭子ちゃんに一筆書いてほしいですね」と、この期に及んでつまらないウソをつく松永でしたが、祖父は頑なに突っぱねました。

 次に緒方が現れ、松永に言われて恭子の荷物を取りに来たと話しました。はやく帰って欲しいこともあり、祖父母は緒方を家にあげましたが、緒方は恭子がいつも着ていたパジャマがないと言い出します。やがて松永もやってきて、大騒ぎしながら祖父母宅を家探ししました。

 このときはまだ松永、緒方に逮捕状は出ておらず、祖父母は相手が殺人犯だとわかっても耐えて接触しなければならず、疲労は極限に達していました。次回会うとき、恭子を七年間養育した費用の500万を支払うということで話がつき、松永、緒方はいったん引き下がりましたが、祖父母は恐々としていました。

 しかし、ついに逮捕状が出て、祖父母宅に現れた松永、緒方は大人数の捜査員に囲まれました。松永は「逮捕状を見せろ!これは不当逮捕だ!」と往生際悪く抵抗していましたが、捜査員に取り押さえられ、とうとう逮捕されました。

マツダ


 4年間

 彩が殺害され、緒方一家が殲滅されてから松永、純子が逮捕されるまでには、実に4年の歳月がかかっていました。その間、松永と行動を共にしていた理由を、純子は「他に行くところもないし、深く考えていなかった」と答えていました。自首については頭にはあったものの、「松永と恭子に迷惑がかかる」との思いからずっと踏み切れなかったそうです。

 救いようのない犯罪生活の中で、純子は親子心中に望みを繋いでいました。松永からは、「お前が湯布院に逃げたから全員殺す羽目になった」「俺は巻き込まれたんだ。どうしてくれるんだ」「お前と子供たちがいるから迷惑なんだ。恭子と二人なら、俺は服部清志に成りすまして、ちゃんと生きていけるんだ」「お前の子供なんだから、お前が処分しろ。処分した後に自殺しろ」と言われており、実際にそうすることが一番いいと考えていました。

 しかし純子は、実際には親子心中を実行することはありませんでした。松永は純子に親子心中をほのめかす裏で、子供たちに「この女は俺を殺そうとしているんだ」「もしお父さんが殺されたら、隣のお姉さんのところに行って、この女は指名手配犯の緒方純子です、と言って助けを求めろ」などと吹き込んでおり、純子がいかに悪い母親であるかを印象づけていました。そのせいで子供が純子に懐かず、子どもを連れだせなかった、ということを、心中ができなかった理由として純子は語っていました。

 保育士であった純子が子供が好きであったことは間違いないので、実の子が純子に懐かなかったのは、やはり松永の画策によるものと見ていいでしょう。松永は純子に唯一の生きがいを与えると同時に奪った男でしたが、純子は松永に最後まで忠実についていきました。

 

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「これは・・・」

 目に染みる異臭で、何が起こったのかを知るのは瞬時だった。

 俺と影沼は互いに何も言わず、丸太のベンチに腰掛けた。

 シーズンを少し外れた平日のキャンプ場は貸し切り状態で、すぐに通報する者はいない。話す時間は明け方までたっぷりあった。

「薬、飲ませたんだな。カレーに混ぜて」

 食事を摂った後、急な眠気に襲われてテントに入り、夜更けに起きるまで、深い眠りについていた。一人、みんなと同じカレーを食べなかった影沼は、俺が寝ている間にみんなのテントに忍び込み、練炭を燃やしたのだ。

 結局全員殺るつもりなら、例の三人を始末するという話と、さっき、森の奥まで行った意味は何だったのだという疑問。しかし、敢えて突っ込まないことにした。

 この男は疲れてしまったのだ。報われぬココロキレイマンとの戦いを長きに渡って続けたせいで、己の心を壊し、正気を失ってしまった。様々な思考が同時に現れては消え、行動の一貫性も保っていられなくなった。

 たとえ不合理なことであっても、長く、底辺に生きる貧乏、無能、不細工を救うために活動を続けてきた影沼が判断して行動したことなら、それでいいではないか。  

 影沼と一緒にいて目の前に起きること、すべてを受け入れられるほどに、俺も影沼と深い付き合いになった。

「大丈夫なの?ここまでやって」

「村岡っちはうつ病で、強い薬を飲んでいる。事件は村岡っちが将来を悲観し、みんなを巻き添えに自殺に及んだものとする」

 確かに仲間の一人、村岡は鬱を患っているが、そんなに簡単に彼のせいにできるものなのか。

 だが、それは俺が心配することではない。影沼ならきっとうまくやるだろう。いや、うまくやれなくてもいいではないか。俺が知りたいのは・・。

「どうして、例の三人以外まで」

 その他大勢のことなどどうでもいいのだが、まず、話の順序として、そういう形で質問をした。

「俺たちと一緒にいる間はいいが、俺たちと別れたら、彼らには絶望しかない。それなら、幸せな今のうちに殺してやったほうがいいと思ったんだ」

「こいつらに絶望しかない?なぜ、それがわかるんだ?」

「彼らには青木っちのように幸せになって、ココロキレイマンを信じない方が幸せになれると“証明”するために必要な、大切なものが欠けている。彼らは、青木っちとは違う・・」

「何が違うんだい。俺もこいつらと同じ、貧乏、無能、不細工だぜ」

「それでも青木っちは、彼女を得ようと行動を起こしていた。料理人の夢に向かって真剣に修行に取り組んでいた。ココロキレイマンを打倒する活動にも、積極的に協力してくれたじゃないか。彼らにそんな行動力はない。過去も未来も。彼らには、このどぶ泥のような世界を抜け出られる可能性はないんだ」

 人生を豊かにするため、リスクを背負って挑戦できるか。結果を出すために、地道な努力ができるか。月並みだが、ココロキレイマンを信じない方が幸せになれると“証明”できる俺と、それができない他の連中との違いはそれらしかった。

 やるべきことを当たり前にやれる人間には想像しにくいかもしれないが、世の中には、生きるための最低限のことが本当にできない人間というのはいるものだ。

 うまくいかないのは全部自分のせいだと思え、ということではない。大事なのは行動すること、行動するのをやめないことで、やることをやって、それで失敗したら、そのときは社会や、周りの環境のせいにすればいい。

 なにも動かずに社会のせいにしていてもいいが、結局、挑戦し努力し続ける資質のない者の幸せは、目の前の苦痛から逃げたそのときだけで終わってしまう。

 その幸せのままに死なせ、彼らを救ってやったのだと、影沼は言っている。

 俺たちと一緒にいられる間はいいが、それは長くは続かない。このまま生き続ければ、彼らはすぐに壁にぶつかり、また苦しいだけの人生に戻ってしまうのだから。

 影沼が仲間を殺した理由はわかった。

 わからないのは・・・。

 俺は焚火台に細く切った薪を並べてキャンプファイヤーの準備をする影沼と離れ、美都がいる一人用のテントのファスナーを下ろした。

 吹き出す刺激臭の奥の、揺すれば起きてきそうな寝顔にキスをしたい衝動を抑え、小高い丘が並ぶその胸にそっと触れた。

 美都の心臓の鼓動が止まっているのを確認した瞬間、なぜだか自分の胸がスッとして、体内に安堵の気が満ちていくのを感じた。

 これで美都が、ほかの誰かに抱かれるのを想像しなくて済む。

 嫉妬の塊である俺にとって、片思いの相手が死ぬことは、自分が付き合える場合の次に嬉しい。俺以外に美都を射止めた男が俺より不細工である分にはまだいいが、そいつが俺よりもイケメンであったなら、俺は世の不条理を感じ、美都を憎むようになってしまう。さらにそいつが有能かつ金持ちで、俺が逆立ちしても勝てないような相手であった場合、俺はそいつと美都を殺さなければならなくなってしまう。

 自分のことしか考えられない俺の人生から、俺の好きな美都を消してくれた影沼に、俺は爽やかな気持ちで感謝できた。

「美都ちゃんには、すまないことをしたと思っている」

「女神。だったよな」

「ああ。女神だった」

 美都は俺の・・俺たちみんなの女神だった。影沼は美都が女神のままに、この世から葬ってくれた。美都がこれから幸せになれたとか、子供を産んでいいお母さんになったとか、そんなことはこの際考えなくてもいい。影沼は俺たちの美都を、俺たちの女神のままで終わらせてくれた。俺はそのことを感謝したい。

 だが、まだ納得できないことがある。

「う、うぐ・・・」

 一つのテントのファスナーが開けられ、四十三歳、定期的に「なにもしたくない病」に襲われるせいで、半年以上同じ職場が続いたことがなかった玉島が呻き声をあげながら這い出てきた。

 影沼は落ち着いた様子で丸太から腰を上げ、足元に転がっていたペグハンマーを手に取ると、煙で巣からいぶりだされたオオスズメバチのように力なく這いずる玉島に近寄り、何の躊躇もなく、ペグハンマーを、今の工場で初めて一つの職場が半年以上続いたという玉島の後頭部目掛けて振り下ろした。

 肉を打つ鈍い音、骨が砕ける嫌な音。ビクンビクンと跳ね上がり、そして動かなくなった玉島から視線を切った影沼が、ほかにも生き残りがいないかどうかを確認するため、立ち並ぶテントのファスナーを片っ端から下ろしていった。

 何件かがヒットし、幾つかの頭蓋が砕かれた。影沼が死にぞこないの息の根を止めているのを視界の隅でとらえながら、俺はズボンのファスナーを下ろしていた。今宵、美都に植え付けるはずだった種を、せめて美都の死に顔を眺めながら出したかった。

 美都に嫌がられるために履いてきた、シミつきの白ブリーフの股間の隙間から、ボロッと出てきた海綿体の包皮を下ろした。剥けて出てきた、アメリカンチェリーのように鬱血した亀頭を指紋で擦り、性感を昂めてみたが、血潮は思ったほど流れ込んでこなかった。

 影沼がこれだけのことをやっている。俺もこの場面で、ただ美都の死を悼むという心がキレイなことはしたくなかった。心がキレイでは絶対やらない、死んだ女でオナニーして、ココロキレイマンを信じない方が幸せになれることを証明したかったが、身体が反応しないのではどうしようもなかった。

「ハアハア、美都ちゃんは・・美都ちゃんは女神だった。ゼイ、ゼイ・・それで・・それでいいじゃないか」

 ゴミの始末を終えた影沼が後ろからやってきて、呼吸を乱しながら、力仕事をさせず、一酸化炭素だけでキレイに逝ってくれた美都を、慈しむ目で眺めて言った。俺は項垂れたものを仕舞い、ミネラルウォーターで、友麻を犯したあの日のようにイカくさくなった手を洗い流した。

 美都は俺に、己の分を弁えるとか考えず、ただ魅力的に思った異性をひたすら好きになる悦びを最後に味あわせてくれた女神だった。その女神が安らかに逝った顔にザーメンをぬったくるなど、けして許されない、あってはいけない。そして、俺はもう迷わない。

 俺はこれから一生、ブスとババアに勃起し、ブスとババアの中に射精して生きていく。

 生きることが辛いことを知らない少年だった俺に別れを告げ、俺はさっきと同じ丸太に腰を下ろした。

「で・・。なぜ俺が、青木っちのために動くのか、だったな」

 紫煙で噎せる心配がないまで呼吸を整え、俺の隣に腰かけた影沼が、煙草に火を点けて言った。

「昭美。覚えているだろう。俺はあの子の兄だ。血のつながった、実の兄だ」

「あ?ああ・・・」

 気まずい沈黙が場を支配する。影沼の妹である昭美という女は、どうも俺にとっても重要な人物であるらしいのだが、その顔がパッと出てこない。

 いかにも俺が覚えていて当然のように言う影沼に、昭美がいつ、どのタイミングで俺と知り合った女であるか聞くこともできず、俺は困惑した。

 女のことを考えるのは脳ではなく股間。そこに答えがあるかのように、チノパン越しに萎れたものを掻いてみると、懐かしく、ほろ苦い記憶が蘇ってくる。影沼の言う昭美というのが、過去、俺が唯一親しくなれた女である、高校時代のあの女のことだとわかった。

「昭美・・穂坂昭美は、あんたの妹だったのか」

 あの女をオカズにしたことは数知れない。すべての女を強引に犯し、嫌がり、悲痛な叫びをあげる女に無理やり中出しすることでしか抜けない俺が、あの女のことを思い浮かべるときだけは、女を大事にし、優しい言葉をかけ、ちゃんと許可を取ってから中でイクことを想像できた。

 こんな俺にもチャンスはあった。容姿さえ目をつぶれば、俺にだって恋愛のチャンスはある。その希望があったから、俺は二十八歳という歳まで大きな犯罪を起こさず生き延びることができた。あの女がいなかったら、俺はとっくの昔に女を犯して殺し、獄中にいただろう。影沼と出会って人生が上向きになることもなかったし、満智子と付き合い、俺が普通に女に愛され、セックスができることを知ることもできなかった。

 俺にとって女神といってもいい彼女の名前を、今の今まで忘れていた。あのどっしりとしたケツ、突き出た腹、控えめな乳房、ニキビとアバタに覆われた肉まんみたいな顔のことはよく覚えており、夢想の中では何度も裸に剝いたのだが、彼女の名前はすぐには出てこなかった。

 記憶が点から線になり、股間のものがムクムクと自己主張を始めた。

「意外だったかい?」

「ああ・・・。いや・・」

 言われて見てみると、影沼とあの女は同じ小太りの体型。あと、俯いたときの横顔が似ている気がした。

 影沼の俺への一線を越えた協力に、これでようやく納得がいった。俺の人生を上向きにすることで、ココロキレイマンを信じない方が幸せとなれると“証明”する、それも嘘ではないのだろうが、ただそれだけの理由では説明できないほど、俺は影沼に世話になり過ぎていた。影沼が俺に入れ込むのは、何かお互いの過去に関わる、個人的な理由があるはずだと確信していた。その謎が解けて安心した。

 同時に、新たな期待が湧き起こる。

 影沼があの女のことを理由に俺に協力していたのなら、俺の願望ではなく、やはりあの女は俺のことを悪からず思っていてくれたのだろう。俺もあの女のことはまだ好きで、あの時つれない態度を取り、せっかくあの女と付き合えたチャンスを棒に振ってしまったことを激しく後悔している。

 影沼にあの女と会わせてもらい、今からでも、あのときの続きを始めたい。あのどっしりとした重量感のあるカラダを前から後ろから抱きしめ、デカケツを音を立てて引っ叩き、勃起を突き入れたい。満智子より一回り以上若いブスの女体を、これから末永く貪りたい。

「小さい頃の昭美は活発な子でな。お兄ちゃん、お兄ちゃんと言いながら、公園で走りまわる俺の後ろをよく追っかけてきたんだ。それが中学に上がるころからかな、段々と内気になって、外に出なくなって、遊ぶ友達も少なくなって、会話の数も減っていって。そんな様子が気にはなっていたけど、俺も難しい時期だったからさ。高校を中退して家を出てからは、もう会うこともなくなっていた」

 影沼が昭美の・・俺の知らない時代のあの女の話を、訥々と語り始めた。

「若い頃はまぁ、酷いもんだったよ。後先のこと考えず、めちゃくちゃやったな。俺も体力のあったころは、足場や鳶なんかやってて、金はあったからさ。その金でも遊びきれなくて、借金作って。あ、言ってなかったが、俺バツ二なんだ。正確に言うと、二人目の奥さんとの籍はまだ抜けてないんだが。姓が変わると、消費者金融から借金がしやすくなるんでな」

 一方その頃、俺はあの女と下校時に親しくなり、人生の大きなチャンスを迎えていた。それはあの女にとってもそうだったのかもしれない。ブスと一緒に歩いているところを他人に見られたくないという俺のつまらぬ見栄が、俺とあの女が共に歩むはずだった、幸せの道を消してしまった? 

「仕事が終わったら街に繰り出し、明け方まで飲んで、酔いが残ったまま出勤し、現場で汗をかいて酒を抜く。そんな暮らしを送ってたら、二十二、三で無理が来た。それから非正規の派遣をするようになったんだが、低賃金、単純労働の仕事を長く続けている人たちの生活の悲惨さは、俺の想像を超えていた。キツいだけで何も身に着かない、何の面白みもない仕事。カツカツ、ギリギリの賃金。余暇を楽しむための金もなく、金をかけない楽しみ方もわからない。そうなってしまうのは、彼らが不細工で無能、そして高い確率で家が貧乏だからだが、なぜ目や鼻が一ミリ大きい小さい、学校のテストが一点二点高い低い、ましてや、自分の親の稼ぎが一〇〇万二〇〇万違うというだけで、人生の幸せがこうも変わってしまうのか。納得がいかなかった」

 誰しも、己と他人を比べ、嫉妬に悶える。だが、人は守るものさえあれば、邪な思いは封印し、余計な争いは回避しようとする。
例えば年俸二億を稼ぐプロ野球の選手が、年俸二十億のメジャーリーガーに嫉妬し、殺意を抱くという話は聞かない。年収五百万の都内勤務オフィス系サラリーマンと年収五千万の会社社長でもそれは同じかもしれない。ところがなぜか、年収二百万の派遣社員と年収三百万の地方工場勤務正社員という関係では、往々にして争いが勃発する。 

 問題は常に、格差ではなく貧困なのだ。人として最低限、これくらいは許されて然るべきだという幸せさえ味わえないから怒り、苦しみ、その幸せを持っている者に憎しみを抱いてしまう。どうにかすれば自分にも手が届きそうな気がするのだが、実際にははっきりとした境界線がある、そんなところにいる者ほど、より強い憎しみの対象となる。

 自分が平凡であり、こんな自分を妬む者などいないと安心している者は、今の世の中、平凡を夢見て平凡になれない者が山ほどいることを知れ。

 過去を振り返って、一つでも思い当たるところのあるヤツは用心しろ。お前が理不尽に踏みにじってきたヤツらが、いつもお前を狙っている。

「彼らのことを観察し、自分自身も塗炭の苦しみを味わううち、俺たちを苦しめているのは貧乏、不細工、無能であることそのものよりも、その苦しみから救われる手段を、後ろめたい金持ち、イケメン、有能たちがバラまいた、ココロキレイマンという思想に求めているせいなのだと気づいた。気づいてからは、ココロキレイマンを駆逐する活動に邁進した。俺たちを苦しめるココロキレイマンを打ち倒すために、頭脳と肉体をフルに使い、すべての労力を注ぎ込んだ。その頃には、学生のころに別れた妹のことは、すっかり忘れていた」

 俺が大学で挫折を味わい、坂道をゆっくりと転がり落ち始めた時期のことである。

「三年前だ。昭美が精神安定剤の過剰摂取で亡くなったと、十年近く会っていなかった親から連絡を受けた。昭美も社会に出てから辛いことの連続で、心労が溜まり、人生に希望が見えなくなってしまったらしい」

 脳天に雷が直撃したような衝撃が走り、景色が回ってみえる。俺が焦がれて焦がれ抜いたデブスマンコが、まさか灰となって消えてしまっていたなんて。

「バカなことを」 

 俺が悲痛に頭を抱えながら叫ぶと、影沼も悔いから頭を左右に振った。

 世の中の自殺率が女の方が圧倒的に低いのは、女は女であるだけで価値があるからだ。たとえまともに働けなくとも、女は、男の性欲を拒まぬ限り生きる道がある。 
    
 顔がブスであっても関係ない。世の中、女を抱けるのならば、容姿は一切問わないという男など星の数ほどいる。あの女はそれを知らなかったのだろう。俺がどれほどあの醜い顔と太った身体を求めていたかも知らず、自ら命を絶ってしまうとは。

「底辺世界に生きる男の苦しみは知り尽くしているつもりだが、女のことになると、どうも疎い。昭美は遺書を残さなかったから、昭美が何に苦しんでいたのか、俺にすべてはわからない。だが、ただ一つだけわかったことがある。昭美はどうも、事務員として勤めていた会社の同僚の森尾という男に苦しめられていたらしい」

「森尾」

 その名を聞いて、全身に戦慄が走る。俺を、自分が気持ちよくなるための玩具にしていた男。ココロキレイマンに支配され、己を救うのはココロキレイマンだけと信じ込み、己の心がキレイであるために、報われぬ戦いを続けていた男。

「森尾は昭美にしつこく迫っていたらしい。警備会社で事務員を勤めていた昭美をどうにか振り向かせようとしたが、昭美は森尾の、再三にわたるデートの誘いを断り続けた。怒った森尾は周囲に働きかけ、昭美に様々な嫌がらせ行為を働いた。昭美はそのストレスで、心を病んでしまった」

 森尾が昭美に迫っていた。あの不細工な昭美に。

 俺の記憶では、森尾の容姿は平均以上には整っており、貧乏、不細工、無能の三重苦のうち、不細工という要素には悩まされていなかったはずだった。だが、イケメンの俺があんな地味な女にフラれるはずがない、フラれるとしたら女がオカシイという心理の流れを考えればわかるように、中途半端に女にモテるということは、まるで女に縁のない男よりもむしろストーカーになりやすい傾向にある。

 森尾の性格を考えれば、ヤツが昭美に迫った理由は愛欲よりも自己顕示欲。圧倒的男社会の警備会社に咲いた一凛の花を手中に収め、女にまるで縁のない男どもの中にあって、自分が特別な存在であることを知らしめようとしたのだろう。

 大方、自分が昭美に惚れているので付き合ってくださいではなく、昭美の方が俺に惚れているはずだから付き合ってやる、とでもいった傲慢な態度で、昭美に交際を迫ったに違いない。あの男のやりそうなことである。

「森尾は青木っちの悪口をずっと言っていたらしい。昭美は初めのうちは抗議していたが、森尾が青木っちは頭が悪くまったくの役立たず、どうしようもない変態の性犯罪者であるという紛れもない事実をひたすら言い続けたので、昭美も青木っちのことを庇うのはやめた。ひとしきり青木っちをミソクソにけなした後、ちょっと目が合っただけで、ようやく俺のことを好きになったか?などと決めつけてデートに誘ったり、自分の写真を強制的にスマホの待ち受け画像にさせたりなどしてきた森尾に、昭美は大変に苦しめられていた」

「それは、やはり、その・・」

「確かなことを聞いたわけじゃない。だけど俺は、昭美にとって、ずっと青木っちは、心の支えになっていたんじゃないかと思うんだ」

 思いのほか冷静に、影沼の言葉を受け止められている自分がいた。

 真実がどうであれ、昭美はもうこの世にはいない。昭美が俺のことを好きだったのであれそうでなかったのであれ、影沼の言ったことが覆ることはない。俺が昭美の、肉まんのようなカラダに触れられるわけでもない。

 今はただ、昭美が俺のことを好きであった、その昭美は俺に抱かれることなく自ら命を絶ってしまった、そのことへの切なくほろ苦い思いに浸っていようと思う。

「昭美は森尾にどんな酷いことをされても、好きな青木っちをどんなに酷く言われても、警備会社に留まり続けた。控えめな子だから口には出さなかったようだが、俺が思うに、昭美は青木っちの情報を集めようとしていたんじゃないか。昭美はまた青木っちに会いたかったから、森尾に嫌がらせを受けても、青木っちとのただ一つの接点である警備会社を辞めなかった」 

 すべてにおいて己より下に見ていた男に、己が迫った女が関心を抱いていた。森尾のプライドが引き裂かれる音が聞こえ、茹蛸のように赤くなった顔が目に見えるようである。そして、その後の昭美が受けた精神的苦痛の凄まじさも・・。

 大切な者・・俺を思ってくれた者が受けた苦しみに胸を痛める。どうしようもない俺の中にもあった情けの心。クソまみれの世の中でこれから生きていくために必要なこと。

「森尾は悔し紛れに、青木っちはもう死んでいるようなことを口走ったらしい。鬱状態となり、思考力が弱っていた昭美は森尾の戯言を信じ、希望を失い、自ら命を絶つという悲しい選択をしてしまった。人づてに聞いた話でその事実を知った俺は、森尾に会い、直接真偽を確かめることにした。いや・・ほとんど殺すつもりで、森尾が働く工事の現場に向かった」

「殺したの?」

「ココロキレイマンに骨の髄まで侵された森尾は、会社の若い者に、仕事は金じゃないんだ、憧れの人がいればその会社は幸せなんだ、彼女がいなくてもいいんだ、俺がお前も見ているぞ、みんな俺に憧れてる、お前も俺を目指せばいいんじゃないのか、などと、警備の会社で威張ることに命をかけていた。自己顕示欲。ただそれだけに憑りつかれ、どぶ泥から這い上がろうとするのではなく、どぶ泥の中でいかに快適に過ごすかということ哀れな姿を見て、殺す気もなくなった」

 惨めな森尾を見て殺す気が失せた気持ちは、俺にもよくわかる。

「ココロキレイマンを憎んで人を憎まず。こんな森尾を殺すよりも、俺にはやることがある。たった一つ、昭美の生きる希望だった青木っちを救うこと。どぶ泥に足を取られてもがき苦しむ青木っちをココロキレイマンのくびきから解放し、少し違えば昭美と歩むはずだった幸福な人生へと導くことを決意したんだ」

 ココロキレイマンを憎んで人を憎まず。ココロキレイマンと戦う光の戦士である俺たちの人生は、森尾などというチンケなココロキレイマンを殺すだけで終わっていいものではない。

「いつまでも。いつまでも大事に思うよ。忘れない。あのとき俺が告白してれば。穂坂昭美と付き合えていれば、俺はこんなことになってなかった。ずっと二人で楽しかった」

「悔やんでいるだけでは仕方がない。青木っちはこれからの人だ。昭美を思う気持ち。反省。それをこれからに向けてほしい」

 そうだ。

 影沼はここで終止符を打つことを選んだが、俺には先がある。俺はこれからまともな仕事と金を得て、趣味を満喫し、もっと沢山のブスとババアとやりまくり、人生を謳歌する。

 影沼はそのために。俺の思い上がりを諌めるために。破滅への道を歩もうとする俺を食い止めるために、川辺美都を殺してくれた。俺のために、美都を殺してくれた。

「は、ははは、はーーっ」

 影沼が笑い声をあげながら、白樺の木をよじ登り始めた。俺はそれを黙って見つめながら焚火に薪をくべた。

  この男は疲れてしまったのだ。

 少年時代、大人の理屈では到底理解しきれない複雑な心を抱え、義務教育で学歴を終えた。

 低賃金単純労働の世界で、富を搾取され、身体を削り取られ、誇りを奪われた。

 正義の戦いに没入するあまり、大切な妹の心の悩みに気づけず、死を選ぶことを止められなかった。

 妹のただ一つの生きがいだった男の人生を上向けることにすべてを注ぎ、ついには自らの人生を終わらせた。

「は、は、はははーっ、はっ、はっ」

 十メートル以上もある木の天辺近くまで登った影沼が木を大きく揺らした。樹表で静かに朝を待っていたセミたちが飛び立ち、無数の木の葉、どんぐりが地面に舞い落ちてきた。俺は黙って焚火に薪をくべ、生ぬるくなったミネラルウォーターを飲み干した。

 火。すべてを飲み込む火。俺の生きる苦しみも、それを与えていた友麻と藤井の亡骸も、何もかもを焼き尽くしてくれる火。

 火を見ると心が落ち着く。祖先より脈々と受け継がれるDNAが、原初の時代、洞穴で焚く火を眺めて暮らしていたころの気持ちを思い出しているのだろうか。

 火を使い始めてから数万年、人類は飛躍的な進歩を遂げ、死の恐怖から解放されたかのような気になっている。少なくとも、そんなヤツが多数派を占めている。

 とんでもない、死の恐怖は今の世にも、そこここに転がっている。

 そこここでイケメン、有能、金持ちなヤツらと、そいつらに腰を摺り寄せる女どもが俺たち貧乏、不細工、無能を傷つけようと待ち構えている。また、イケメン、有能、金持ちと女どもに傷つけられた俺たちにさらに塩を擦り込もうと、ココロキレイマンどもがつけ狙っている。

 食うものだけには困らなくなったこの世の中で、今も普通にある死の恐怖に怯えないために、必要なのは心がキレイでいるのをやめること。俺たち貧乏、不細工、無能は、どう逆立ちしても憎悪、嫉妬と無縁の人生ではいられないのだから、それを頭から否定するのではなく、認めた上で幸せに生きる方法を考える。これから何十年と続く人生で、俺はそれをやっていく。

 はっきりと本人の口から聞いたわけではないが、影沼はすべての罪を背負い、一人で法の裁きを受けてくれるだろう。そして遅くとも五年以内には、すべての秘密を抱えたまま、刑場の露と消えるに違いない。

 イカレたこの世とこれでオサラバできる影沼と違い、俺はどこまでもこの大地に根を張り、逞しく生きていかなければならない。貧乏、不細工、無能がこの世の中でまともに生きるという、死が羨ましく思えるほど険しい道を、俺はこれから、影沼の屍を越えて突き進む。

「つッウッ・・・・クゥーーッ」

 地響きを鳴らし、木の上から飛び降りた影沼が、痺れた足を抑えて歯を食いしばった。

 目と目を合わせて、ニッと微笑み合う。焚火に薪をくべ、ミネラルウォーターで乾杯する。清流がせせらぐ音、薪がパチパチと弾ける音。

 自信と不安。それが交互に押し寄せる。悪くない。勝って当たり前ではなく、四分六分の可能性に賭けて勝つ、それが人生の面白み。朝起きた時、きっとダメだろうと思い込む自分を、ブスとババアと一発かまし、飯を食い、歯を磨き顔を洗いながら、きっとやれると思い込む自分で抑えて家を出る。そんな日々を、これから繰り返していく。

「キャンプファイヤー。グッバイ、クソだった俺」

「グッバイ、ココロキレイマン」

 これまでを振り返りながら、これからに思いを馳せて。いつかは消える焔を眺めながら、いつかは明ける夜を、俺は影沼と二人で愉しんだ。





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