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お知らせ


 新ブログを立ち上げました

http://kotarohapyy12.com/

 創作発表は行わず日常の話が中心です。

 興味ある方はどうぞ。

 こちらのブログの方はいずれ閉鎖する予定です。
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更新終了のお知らせ


 最後までコメントを下さった方々には申し訳ありませんが、期限内にコメント数が十分な数に達しなかったため、こちらのサイトの更新を今日で終わりにさせていただきます。

 今後も執筆活動は続けていきます。本名で活動するのか、ペンネームを使うのかまだわかりませんが、何かの形でお目にかかれば幸いです。

 暖かい言葉を頂いた読者の方には全員感謝をしていますが、特に  seasky さん まっちゃん さん のお二方への 感謝は、いくら言葉をいくら述べても足りないほどです。

 こちらの更新を続けていくという形で、お二方へのお礼ができなくなってしまったことを大変遺憾に思います。

 悔しい結末に終わってしまいましたが、私の中で一つの区切りになりました。

 気持ちを切り替え、小説を書いて継続的な収入を得るという、自分が生きる唯一の道に邁進していきたいと思います。

 今後、特に出版社等からの指示がない限りはこちらの方は残しておきます。

 長きに渡って愛読いただき、ありがとうございました。

外道記 改 あとがき

 「外道記」を今読み直すと、当時の私が、自分以外のすべてを敵と認識して生きていたことを思い出します。

 当時ほど極端ではありませんが、基本的には、その状況はまだ変わっていません。

 自分を受け入れない「世間」との戦い。私はそれを、自分の言葉を世の中に出し、最低限、生きていけるだけの収入を得る(継続的に)という目標を叶えることによって決着させようとしていますが、まだ、報われていません。
 
 今現在、私は不幸せです。私の人生は、まったくもって充実していません。

 私がこのように言うと、「その考えは後ろ向きだ!けしからん!」「お前には彼女(妻)がいる!愚痴をこぼすな!人生のすべてを納得しろ!妻のために生きろ!」「ついでに、正社員とか目指しちゃえ」「これ以上俺を頼るな!俺を責めるな!俺がお前にどれだけのことをしてやってると思ってるんだ!(私に何も与えず、ただ傍観してるだけで、なぜか頼られた気になっている。私が自分自身に対して愚痴をこぼしているのに、なぜか被害妄想。私のためを思っている風を装いながら、結局ただの自己主張)」というようなことを言ってくる人が、リアル、ネットを問わず(ネットの書き込みもリアルの人間が行ったものであり、こういう分け方は私は好きではないのですが)、よく現れます。

 私が今現在の境遇を幸せだと認めないと「怒っちゃう」という変な人たち。

 彼らのすべてに共通するのは、彼らが自分が上がるための「努力」といえることを何一つしていないということです。

 自分が這い上がるための努力を何もしていなければ挫折して傷つくこともなく、若くして年寄の如く守りに入って生きていれば、小さな幸せで満足できるのは当たり前です。

 ただ単に、自分の志が低く、自分の運命と戦うことを放棄しているから愚痴をこぼさないでいられるだけのことを「偉い」と勘違いし、努力してうまく行かないから愚痴をこぼしている人間に「説教」する権利があると思い込んでしまう人種への対応に、私はこれまで散々苦しめられてきました。

 彼らは私を後ろ向きと言いますが、そもそも彼らと私では、「前向き、後ろ向き」ということについての考え方に、大きな隔たりがあります。

 彼らは、「自分の今現在の境遇を幸せだと思い込む」ことを前向きだと思っているようですが、私は「努力し、工夫し、誰かの力を借りたりして、今よりも幸せになろうとする」ことを前向きだと思っています。それが報われていないから愚痴をこぼすのが、彼らにとって後ろ向きに見えるだけのことです。

 言っていることは後ろ向き、やっていることは前向きというのが私であり、言っていることは前向き、やっていることは後ろ向きというのが、私に説教を垂れる方々です。

 もう一度言いますが、今現在、私は不幸せです。私の人生は、まったくもって充実していません。

 かつて、私は「正社員」というものを目指していました。しかし、私にとってそれは、「じぶんがりふじんにぶじょくされたことをきれいさっぱりみずにながし、おともだちのしあわせをすなおにしゅくふくできる、きらきらきれいなこころをもったおとこのこ」にならなければ手に入れられないものでした。

 私は、私以外の誰かにとって都合がいいだけの人間になることを拒絶し、私が自分の意志で生きる人生を手に入れる道を探し始めました。そしていま現在、私はその道を、自分の言葉を世に出し、最低限、生きていけるだけの収入を得るという未来に定めています。

 私が救われる道は、それ以外にありません。

 私は、それ以外の道で私を完結させようとするすべての言葉を、全力で拒絶します(偽善の国のアリスに寄せられたさる説教厨の方が言ったようなことです)
 
 私は、「キレイなココロを持つこと」「正しい人間になること」「人として、まっとうに生きること」には、まったく興味がありません。私が興味があるのは、自分の言葉を世に出し、それにより最低限生きていけるだけの収入を得る(継続的に)ことだけです。

 人を殺してそれが手に入れられるのなら喜んで殺します。

 道端で全裸になることでそれが手に入れるなら喜んで脱ぎます。

 ゴキブリを食ってそれが手に入れられるのなら喜んで食います。
 
 「自分の今現在の境遇を幸せだと思い込む」ことを「前向きな考え」だと思い込む。別に、悪いことではありませんし、そういう考えの方にも私の書いたものを楽しんで欲しいと思います。

 ですが、もし、その考えを私に押し付けてこようとする方が現れたら、全力で拒絶します。あまりしつこければ、生きるのが嫌になるほどの罵声を浴びせます。

 大事なことは何回でも言いますが、私にとって「前向きな考え」とは、「努力し、工夫し、誰かの力を借りたりして、今よりも幸せになろうとする」ことです。そしてその道は、自分の言葉を世に出し、最低限、生きていけるだけの収入を得る(継続的に)ことしかありません。

 それが叶わくば、私は私に一生分の侮辱を浴びせた人物に、一生分の恨みをぶつけて絞首台に昇るしかありません。

 気力、体力が続く限り、自分を救う唯一の道を進んでいきたいと思います。
 
 

外道記 改 22










                         
                          22


 昼過ぎになって東山のマンションに到着したときには、東山宅の周りに集まる群衆は五十人ほどにまでその数を増し、警官まで訪れる騒ぎとなっていた。平和な田舎の住宅街では、類を見ない大パニックである。

「凄い人だかりですね・・・これみんな、東山を見に集まったんですか?」

「ああ。なんたってスーパースターだからな、あいつは」

 アパートの駐車場に群がる人々をかき分け、俺は唐津を連れて、東山の部屋の前へと近づいていった。

「あ、アニキ!ひてくれたんふね」

 俺と唐津が到着するまでの間に、また二、三発、東山に殴られたらしい桑原の顔は、ボコボコのイボイノシシのように変形していた。それこそ東山の方が、自分を刺激する者すべてに襲い掛かる、野生のイノシシ同然になっているようである。

「おう。東山はどうしてるんだよ」

「正直、よくわからないです。部屋の中と外を行ったりきたり、突然出てきて、五分くらい何か喋ったと思ったら、またすぐ部屋の中にひっこんじゃったり・・・」

 詳しい事情はわからないが、とにかく相当、情緒不安定になっているようである。迂闊に中に入るのは危険のようだ。

「あんたたち、ここの旦那さんの知り合い?」

 東山宅の「ガードマン」桑原と話していた俺に、一番近くでも、ここから歩いて四十分はかかる交番から駆けつけてきたらしい制服警官二名が、かったるそうに近づいてきた。

「ええ。職場の同僚です」

 探られて痛い腹が山ほどある俺は、反射的に手足が震えそうになるのをグッと堪えた。変にビビったところを見せれば怪しまれる。こういうときは、毅然として応対していれば、なにも問題なく切り抜けられるものである。

「通報を受けて来てみたはいんだけどさ、殴り合いが起きてるわけでもないし、ただ集まってるだけだから、あんまり強く注意もできないんだよね・・。もしよかったらさ、この騒ぎを何とか収めてくれるように、旦那さんを説得してもらえないかな。俺らも困ってるんだよ」

 実際には、東山に殴られてしまった人間もいるわけだが、身内ということでお咎めなしになったらしい。これが東京なら、挑発して公務執行妨害で無理やりにでもパクるところだろうが、ここは事件といえば、認知症の老人が散歩に行ったきり帰ってこないとか、どざえもんになって上がったとかいったくらいの、平和な田舎町である。すっかりぬるま湯体質につかった交番勤務の警察官には、やる気のかけらも見えなかった。

「まあ、何とかしてみます」

「ほんと?じゃあ、よろしく頼むよ」

 警察官は、俺がトラブルの解決を約束すると、これ幸いとばかりにあっさりと帰ってしまった。東京の人間には信じられないだろうが、平和ボケしきった田舎町の交番勤務の警察官では、これが通常運転である。

 仮にも警察官に約束してしまった以上、何もしないわけにはいかない。とはいえ、猛獣同然の東山にすぐに会うのは危険である。俺はまず、桑原を東山の部屋にやって、東山に今後どうするつもりなのか、俺たちを呼んでどうしたいのかを聞きに行かせた。

「蔵田さん、なんか話聞いてると、東山とは前々から親しいみたいですが・・・。どういうことなんですか?東山とは、いったいどういう関係なんですか?」  

 唐津の疑問は当然だが、俺は彼の問いには答えなかった。というより、答えられない。あらゆる要素、あらゆる感情が複雑に絡み合った俺と東山との関係など、何も知らない人間に簡単に説明できるものではないし、これから東山のやろうとしていることは、俺にはわからない。すべては、東山の部屋のドアが開けば明らかになるのである。

「ほびあえぶ、入ってこい・・・・ばほうべふ」

 また、東山に一発殴られたらしい桑原が、真っ赤に腫れて、瘤取り爺さんのようになった頬を押さえながら、俺たちに東山の言葉を伝えた。あの男、いちいち殴りながらでないと、伝言一つ頼めないのか。桑原も災難であるが、これから東山の部屋に踏み込もうとしている俺たちも不安である。 
           
 東山の部屋は、以前、女房の遺体を片付けたときに比べて、大分荒れ果てているようだった。気分転換に風呂ぐらいは入っているようだが、掃除や洗濯はされず、ゴミが層になっている純玲の部屋ほどではないが、衣類や空の弁当などが散乱し、「陸地」がほとんど消えかかっている。仕事も休んで一日中家にいる間、中古ゲーム屋で、俺たちが十代のころに流行ったゲームを買って遊んでいたようだが、うまくクリアできなくて余計にイライラしてしまったのか、何枚かのディスクが割られていた。

「蔵田さん・・・これはどういう・・・一体、これから、何が始まるんですか?」

「知らねえよ。東山に会ったら、本人に聞いてみろ」

 唐津が逃げないように、最後尾を歩きながら、東山の待つリビングへと進んでいったが、東山の姿は、部屋の中には見えなかった。東山がいたのは、ベランダ――桑原の言っていたように、東山は集まった群衆を相手に、演説を始めていたのである。

「東山先輩・・・二人を、ふれてひまひた・・・」

 桑原が、窓の外に向かって声をかけたが、東山は一瞬、こちらを振り向いただけで、すぐに視線を群衆の方に戻し、何事かを叫び始めた。

「おっおっ・・・・・お前らが、理解していないようだから、もう一度、最初から話すっ・・・・おっおっ俺はぁっ!!小さいころから、曲がったことが大嫌いだったっ・・・!この世から、悪をなくすために、様々な活動を展開してきたっ!小学校のころから、学校防衛軍を作って、悪いことをしたヤツを怒ったり、先生に報告したりしていたっ!中学に入ると、君を守り隊というイジメ撲滅の組織を作って、イジメられている子を守ったり、イジメをしているヤツを懲らしめたりしていたっ!」

 東山が喋っている間、いつの間にか、ベランダの窓の近くにいた桑原が移動して、リビング入り口のドアの前に陣取っていた。東山に言われたのか、もしくは自己判断で、俺たちが逃げないように、障壁となったのだろう。これで俺たちは、袋のネズミになったわけである。

 俺のポケットの中には、護身用に持ってきたスタンガンが入っている。東山相手にはおもちゃ同然でも、東山に殴られてダメージを受けている桑原なら、不意打ちを食らわせれば倒せるかもしれない。

 逃げるなら今だが、今は同時に、唐津を仕留める最大のチャンスでもある。こんなところで逃げたら、俺は一体何のために、わざわざ危険を冒してここに来たのだという話になってしまう。

 東山の家を出るのは、唐津の死亡を確認してからだ。自らの命惜しさに逃げを打ち、みすみす世間にケジメをつける絶好の機会を逃してこれから生きても、それは俺にとって、死んでいるのと同じこと。この先四十、五十年、死んだように生きるよりは、ここで潔く散った方がマシではないか。俺は自らを奮い立たせた。

「東山は、いったい何を言っているんですか・・?どうして、僕たちを中に入れたんですか・・・?」
 逃げ道を塞がれたことで、唐津の表情が、完全に不安一色で塗りつぶされたようだった。尻を浮かせたり着けたり、落ち着きがなく、露骨に動揺しているのが見て取れる。唐津にしてみれば、これから希望に満ち溢れたサクセスストーリーを歩みだす前に、最後の後始末に訪れたというぐらいの気持ちであり、こんな大騒動に巻き込まれること、ましてや、自分の身が危険に晒されることなど、まったく想定していなかったのだろう。

 常に自分の都合しか考えずに生きているから、そういうことになる。自分が踏みつけてきた人間にも人生があったことを想像できる頭があれば、こういう事態だって、事前に察知できたはずである。あるいは、莉乃と身体を結合させすぎたせいで、脳内お花畑がうつってしまったか。

 可憐な花ばかりに目を取られていた唐津は、最後に自分が踏みつけていた雑草に足を取られ、地蔵山で莉乃が味わったのと同等以上の恐怖を味わうことになるのである。

「その俺の前に、一人の敵が立ちはだかった!そいつは、最初、特別学級の生徒をイジメていた!俺はそいつを懲らしめた!そうしたら、そいつは、全学年に呼び掛けて、俺を潰そうとしてきたんだ!その男が、こいつだ!」

 言い終わると、東山はリビングにやってきて、床に腰かけていた俺の手を掴み、ベランダまで引っ張っていった。さっきよりさらに人数が増えて、七十人あまりにもなった群衆たちが、一斉に携帯カメラを向けてくるのを見て、思わず苦笑してしまった。

「こいつに追い詰められた俺は、精神を病んじまって・・・・そ・・・・お前らも知っての通り・・・・許されないことを・・・やってしまった・・・・」

 眉間にしわを寄せた鎮痛な面持ちで下を向き、唇を舐める東山。内心はどうあれ、とりあえず反省した態度を、自宅の前に集まった群衆と、カメラの向こうにいる何万人というネットユーザーに対して示すことはできたようだ。

 こうして自分の好感度を上げたうえで、自分のこれまでの悪行は、すべて中学時代に出会った、この蔵田が元凶なのであり、蔵田がすべて悪いのだという結論に持っていこうとしているのか?それで世間が納得すると思っているのか?俺は群衆とともに、いまだ渋い顔をしたままの東山が、口を開くのを待った。

「だっだがっ・・・俺が言いたいのは・・・俺はけして、イジメられていたわけじゃないってことだ・・・。俺は、コイツと、壮絶な戦いを繰り広げていたんだ・・・俺は、被害者ではない・・・それだけは、お前らに、言っておく・・・・」

 被害者という立場に堕ちた瞬間、東山が何より大切にする、雄々しさ、戦士としての誇りは崩壊する。東山が俺をここに呼んだのは、すべてを俺のせいにするためではなかったのだ。

 まさか、このお披露目のためだけに呼びつけられたわけでもないだろうが、ひとまずお役御免となったらしい俺は、東山に片手で部屋の中に放り込まれた。東山のやりたいことはまだよくわからないが、しばらくは、部屋で大人しく座りながら、様子を見守るしかなさそうである。

「蔵田さん、東山と中学校の同級生だったんですか?いったい、何がどうなってるんですか?」

「うるへえ!黙って、東山先輩の言うことをひいとけ!」

 桑原の一喝を受けて、質問も封じられてしまった唐津が、莉乃が愛した端正な顔立ちをしかめて俯いてしまった。かつての労働組合委員長の肩書きも台無しであるが、彼を惨めな臆病者と罵ることはできない。比喩ではなく、今、俺たちは猛獣の檻の中にいるのである。大勢の味方の後ろ盾がある朝礼の場とはわけが違う。労働組合の一員としてともに戦った俺さえもが、味方であるのかどうか疑わしいという状況。本物の修羅場を味わった経験のない唐津が、平静でいられるはずもなかった。

 人のことは言えない。親を精神崩壊に追い込み、二年間連れ添った女を事実上殺害するという修羅場を経験した俺とて、東山に首根っこを掴まれて、ベランダに連れて行かれたときには、心臓が止まりそうになった。修羅場といっても、俺は自分が絶対優位な状況下で、俺よりも力の弱い人間を痛めつけたというだけの話であって、自らの命を危険に晒すのは、これが初めての経験である。 下手をすれば、唐津への復讐も、純玲との未来も、何もかもすべてパーになるかもしれない。リスクを覚悟で、俺は今ここにいる。リスクが高いからこそ、俺がここにいる価値がある。

 今までずっと、俺は自分のことを、世界で一番可愛そうな人間だと思っていた。二十四時間三百六十五日、常に感じている被害者意識が、俺が他人を酷い目に遭わせていい正当化になっていた。

 だが、純玲と出会ったことで、俺は自分にも、人並みの幸せが許されていたことがわかった。不幸でなくなったのは良かったことだが、皮肉なのは、これまで散々、他人を酷い目に遭わせてきた罪悪感を帳消しにするための、新しい正当化の理由を探さなければなくなってしまったことだった。
 
 頭を捻り、模索し、そして行きついた正当化こそが、自らの命を危険に晒すこと――。自分が命を粗末にしているのだから、他人の命を奪ってもいいという理屈であった。今さらお天道様に恥じることなく生きるというのは無理でも、せめて自分自身に遠慮せず生きるために、俺はこの場に留まり、これから起こることすべてを見届けなくてはならないのである。

「それから、俺は、少年院に入った・・・。少年院では、出所したら一緒に犯罪集団を結成しようとか話し合うクズどもを後目に、カリキュラムに真剣に取り組み、自分の犯した過ちを心から反省する日々を送った・・・・。身体が急成長し、一年で二十センチも身長が伸びた・・・少年院でもイジメヤローはいたが、強さを手に入れた俺は、そいつらを全員ぶちのめした・・・」

 桑原が、戦地で天皇からの激励を受けたかのように、涙を流し始めた。いくら理不尽に殴られても、けして忠誠心を失わない、異常な信仰心の強さ――彼らと同じ環境に置かれたことがなく、彼らが味わってきた地獄の過酷さもわからない他人が、簡単に立ち入れる世界ではなかった。

「やがて、出所のときが来た・・・俺は運送会社に就職し、給料が低いとか、休みがないとか文句を抜かす輩を後目に、夜も昼もなく働いた・・・。被害者遺族への送金も、欠かさず行った・・・・俺は一生懸命に仕事を覚え・・・二十五で重役となり・・・・その会社がつぶれてから・・・もっと大きな、今の会社に就職できた・・・そして・・・・・今に、至っている・・・・」

 ここまでの東山の話の内容は、俺と再会したあの晩、車の中で聞いた話と大差はない。一つだけ違っているのは、結婚し子供が生まれた下りに、まったく触れていないところである。女房の話をすれば、その女房が今、なぜ姿を消しているかという質問が、群衆の中から出てきてしまうかもしれない。どうやら東山は、少なくとも今の段階ではまだ、自分が再び殺人者となった事実は明かしたくはないようである。

「そして・・・・今の会社に入ってからも、仕事に打ち込んだ俺は・・・すぐに出世をし・・・・倉庫の責任者となった・・・・これまで、順調に階段を上っていたが・・・・一人の男が、俺の前に立ちはだかった・・・・」

 東山は、またリビングに戻ってきて、今度は唐津の手を引っ張って、ベランダまで連れていった。先ほどの俺と同様の、「お披露目」が目的に違いなかった。

「この男は・・・・俺が仕事で厳し過ぎるといって・・・・労働組合を作って・・・俺に反抗してきた・・・・。俺が弱いヤツをイジメる悪者だと言ってきた・・・;だが、違う・・・俺に、そんなつもりはなかった・・・俺はただ、こいつらにも、働く喜びを知ってもらいたかっただけなんだ・・・結果的には、誤解されてしまったようだが・・・俺は、イジメなどはしていなかった・・・・」

 東山が目を離した隙に、俺はスマートフォンを取り出して、匿名掲示板を開いた。東山の渾身の演説が、ネットを通じて、世間にどう捉えられているのかを知りたくなったのである。

「アニキ。だめです。それは仕舞ってください」

「違うよ。通報とかじゃなくて、世間の反応が見てみたくてよ」

 すかさず注意してきた桑原に、俺が苦笑しながら言うと、桑原は自分のスマートフォンを起動して、匿名掲示板のページを開き、俺に見せてくれた。

 掲示板の書き込みの大半は、ほとんど意味もないような、東山に対する煽りコメントだけであったが、中には目を引くものも。

――俺、コイツらのこと知ってるわ。中学で一緒だった。東山だけじゃなく、さっきチラっと映ったヤツのことも知ってる。

 すぐに、中学時代、ともに学んだ何人かの顔が思い浮かぶが、特定するには至らない。インターネットの掲示板に書き込みをするのは特別な人間でもなく、弱い人間、やらかした人間を叩いて日ごろの鬱憤を晴らそうとするのも、特別な人間がやることではない。「生存競争」で、俺の手駒として参加していた連中の一人かもしれないし、積極的には関与していなかった連中の一人かもしれない。こちらから特定するのは、まったく不可能である。どこの誰かもわからない奴らが、俺や東山のことを、これから数万のネットユーザーに語ろうとしている。

 レスの主は、他のユーザーからの質問を受けて、まさに俺と過去に何らかの関わりがあり、俺の実家の近所に住んでいた者しか知りえない情報を、スレッド内に書き込んでいった。

 蔵○重○ 三十二歳。 身長 当時百六十センチくらい。体重 当時五十五キロくらい。成績 下の中。帰宅部。東山イジメの中心人物で、東山をイジメているときだけは人気があったが、元々良い印象がないヤツで、同窓会には呼ばれたことがない。私立の底辺高に一般入試で合格。その後引きこもりになって、二十五歳くらいのとき、公園で遊んでいた少女にイタズラをした容疑で逮捕された。その一年後くらいに、実家は売りに出されて、今は別の家族が住んでいる。

 名誉とはいえない俺の過去の経歴が、どこの誰かもわからないヤツの手によってネット上に流出し、どこの誰かもわからない連中の罵倒、蔑みの的となっている――が、不思議と、そう悪い気はしなかった。逆に、なにか清々したような、爽快な心地さえする。

 後ろめたいと思っているからストレスになる。変に隠そうと思うから疲れてしまう。なにもかもさらけ出してしまえば、すべての悩み、煩いの種は消えてなくなる。割り切るまでが大変だが、一度割り切ってしまえば、逆にこれ以外の結果は考えられないと思えるほど、気持ちは楽になる。

 これからクソみたいな自分の人生にケジメをつけ、長年憎み続けてきた世間と和解し、新しい一歩を踏み出そうとしている俺にとっては、これでよかったのだ。擬態もしない、善人の皮も被らない、ありのままの俺を、世間の側に受け入れさせる。俺が世間に合わせるのではなく、ありのままの俺という人間を、世間の側に受け入れさせる。もし、それで世間の側が俺を拒絶し、生きさせようとしないのならば、俺も東山と同じように、「ラストダンス」を踊って、人生に終止符を打てばいいだけだ。
 
――東山をイジメてたやつが、なんで今、東山と一緒にいるんだ?おかしくないか?

 スレッド内では、当然の疑問が飛び交っている。すべてさらけ出すのが心地よいというのなら、今すぐ書き込みをして、東山から金を強請っていたのだと答えてやるべきなのだろうが、さすがにそれは思いとどまった。桑原の目があるからというわけではなく、刑事事件として立件されたら、厄介なことになるからである。

 いくらありのままの俺を世間に知ってほしいといっても、そのせいでムショ送りとなり、純玲との未来が消えてしまってはどうしようもない。当然ながら、ゆかりのことも話すことはできない。露出狂がVラインぎりぎりまで見せても、全裸にはならないように、俺もいくらさらけ出すのが爽快といっても、シャバに留まれるかどうかというところでは、きっちり自制心が働くようである。

「蔵田さん、なんなんですかあの人。完全にヤバいですよ」

 唐津もひとまずお役御免となったのか、東山から一時解放されて、リビングへと戻ってきた。匿名掲示板の方に夢中で、東山の演説がしばらく耳に入っていなかったが、彼が一生懸命喋っているにも関わらず、群集に共感するようなリアクションは見られないことは、匿名掲示板の「実況」によってわかっていた。東山が期待していたであろう、「糾弾集会」のときのようにはいかなかったのである。

「ヤバい?何がヤバいんだよ?」

 桑原が、べランダの東山を指さす唐津を怒鳴りつけようとしたのを制して、俺が唐津に問いかけた。

「言ってみろよ。アイツのどこがヤバいんだよ」

 俺の雰囲気がおかしい――どうやら、完全に東山の味方をしているようであることを察して、唐津が目を泳がせた。

「いや、その、いや・・・・・」

「アイツはヤバくて、俺はヤバくないの?お前、最初は俺のことヤバいと思ってたんじゃないの?莉乃と一緒に、俺のこと、あの職場から追い出そうとしてたんじゃないの?純玲のことも!」

「い、いや・・・・。く、蔵田さんは、いい人だと思ってました・・・」

 まだ、状況をハッキリとは掴めていないが、唯一、俺が自分の味方ではないという、紛れもない事実には気づいたらしい唐津が、部屋の隅のほうに後じさりながら呟いた。

「思ってました?過去形?なに?じゃあ、俺はやっぱり、悪い人だったってこと?東山のことを嫌いじゃなかったら悪い人なの?お前のことを嫌いだったら悪い人なの?何その基準?」

 俺は後じさっていく唐津に対し、じりじりと歩を詰めていった。俺に追い詰められていく唐津が衣装ダンスにぶつかった表紙に、タンスの天板に乗っていた、東山と、今は亡き夫人、夫人の実家に預けられている愛娘の美香里の三人が一緒に写った写真が床に落下した。今まで何の躊躇いもなく追い込んでいた相手にも、彼の帰りを待つ家族がいた――。自分が踏みつけていた人間にも、人生があった――紛れもない現実を突きつけられた唐津の胸中に、少しは波風が起こっただろうか。それとも、目の前で、自分に敵意をむき出しにしている男への恐怖で一杯で、東山のことを考えている余裕はなくなっているだろうか。

「俺はてめえのことを友達だと思ったことは一度もねえし、てめえにいい人なんて思われたって嬉しくもなんともねえ」

 唐津を壁際まで追い詰めた俺は、怯えて蹲る唐津の頭に、ツバを吐きかけた。

「てめえにとって都合がいいからいい人か。莉乃を掻っ攫っていっても、文句の一つも言わねえからいい人か。なめんのもいい加減にしやがれ」

 誰の言いなりにもならないという決意。誰のオモチャにもならないという決意。俺の本性が世間に知れ渡り、逃げも隠れもできなくなったことで、何か俺の中に、芯が一本通った気がする。

 唐津本人は、俺を都合よく利用しているのではなく、本当の友人だと思って信頼しているつもりなのであろうが、だからこそ腹が立つのである。

 いまはともかく、昔の唐津は、俺のことを、みじめな振られ男だと見下していた。俺はあの屈辱の日々を忘れたわけではないし、胸の中には、けして消えないしこりが残っている。それを心から謝罪されるわけでもなく、何となく「無かったこと」にされたまま、本当の友人になどなれるわけがない。唐津はなれるというかもしれないが、俺の頭には、そんなに過去のことを都合よく忘れられる機能は存在しないのである。

 莉乃のことだってそうだ。俺が莉乃を取られた件で唐津を許すとすれば、唐津が莉乃のことは妥協だった、遊びだったと白状し、もっといい条件の女に乗り換えたときだけである。もちろん、それを莉乃の前で公言できるはずもないが、俺の前では、莉乃はただの「繋ぎ」であるということにしておくべきだった。

 俺が何よりも憎むのは、キレイごとだ。何もかもすべてをキレイごとで片づけて、「臭い物に蓋をして、誰も救えない暗闇の底で喘ぐ人間の声に耳を傾けようともしない世間が、憎くて仕方がない。とりあえずキレイごとを言っていればなんでも解決できると思い込み、キレイごとには誰も反論できないと過信している、キレイごと万能主義の世間を憎む俺にとっては、唐津が莉乃を心から愛しているとか、人を外見で判断するのはやめたのだとか、キレイごとをのたまう方が腹が立つ。あの谷口たちの寮を訪れた夜、二人きりのときに、唐津が俺に、莉乃を「好きである」と打ち明けてきた時点で、俺は唐津への殺意を決定的にしたのである。

「ちが、そんなんじゃ・・・・。僕は蔵田さんと一緒に、この社会の矛盾に立ち向かっていきたかった。一緒に海南アスピレーションの正社員となって、どんな困難にも立ち向かっていきたかった。蔵田さんのこと、友達だと思っていた・・・本当ですよ」

「社会の矛盾?むじゅん・・・????てめえがそれを言うか?てめえの口から、矛盾なんて言葉が出るのか?それだったらよぉ、最初莉乃をバカにしてやがったてめえがいつの間にか莉乃と付き合って、最初からずっと莉乃を好きだった俺が莉乃にコケにされてるのは何なんだ?これは矛盾してはいねえのか?」

「・・・・」

「俺にとっては、てめえより莉乃だ。てめえのヒーローごっこに付き合うより、俺は莉乃のマンコに、自分のチンコをぶち込みたかった。てめえが俺より先に莉乃とヤッた時点で、俺とてめえが手を握る道はすべて閉ざされてんだよ。何でもかんでも、てめえに都合よく考えてんじゃねえよ。友達とか、冗談じゃねえわ。俺を舐めんな。人間を舐めてんじゃねえよ、このクソガキが!」

 何が友達だ。貴様が俺との友情を大事にせず、俺が好きだった莉乃を掻っ攫っていったくせに、なぜ俺だけが貴様との友情を大事にし、莉乃のことをキレイさっぱり水に流さねばならないのか?人を舐め腐るにも程がある。そこまで都合よく割り切って考えられなければ友達はできないというのなら、俺は一生、友人などいらない。

 匿名掲示板では、俺が同窓会に誘われたことがないとか、友達がいなくて引きこもっていたとかいった情報が紹介されたのに対して、哀れだとか、惨めだとか言っているヤツもいたが、まったくもって、大きなお世話である。俺は自分に友人が一人もいないことを屁とも思っていないし、寂しいとも思ってはいない。

 俺は、俺の本当の顔を知らずに寄って来るだけの人間との関係が壊れたところで、なんとも思わない。二度と会いたいとも思わないし、上っ面だけの友人をこれから作ろうとも思わない。多くの友人を得るために、自分を変えようとも思わない。自分を曲げてまで人間関係を全力で維持するなど、もってのほかである。

 交友範囲の狭い人間は、世界が狭いのだという。確かにその通りで、俺の世界は狭いのかもしれないが、自分の足元も見えていないヤツが無駄に視野を広げるより、狭い自分の世界を大切にできた方がいいではないか。

 くだらないマスコミが、くだらない世間に向かって垂れ流す情報・・・。どこぞの野球チームが優勝した、どこぞのセレブが結婚した・・・。自分と関わり合いのない世界で、自分と関わり合いもない誰かが手に入れる煌びやかな栄光を喜ぶよりも、俺は自分が手に入れるささやかな栄光を大切にしながら生きていきたい。

 純玲――何もなかった俺が手に入れた、最高の財産。純玲との絆が深くなるのなら、狭い世界で上等ではないか。

 俺と純玲の世界に立ち入れる人間は、誰もいない。子供は作らない・・・作れない。ウサギやハムスター・・・身勝手な人間の都合で売り買いされ、命をもてあそばれる小さな生き物でも引き取って、ともに支えあいながら生きていければいいと思う。

 俺は俺の世界の外にいる人間がどうなろうが、知ったことではない。俺と出会ってもいない、縁がまったくなかったという人間はまだしも、俺と深く関わりながら俺の世界を理解しなかった人間は、この先、俺の理解者になる可能性は皆無ということになるのだから、死んだところで心も痛まないし、利用して殺したところで、大きな罪悪感は感じない。

 俺の敵は世間――。今も昔も、そしてこれからも。

「ネットを見りゃわかるように、いまは弱者が強者を叩く時代だ。弱いってことが、一種の発言権になっている。物事を良いように解釈して、自分の都合がいいときだけ弱者ヅラしようとするてめえは、俺にとって、本当の強者よりもタチの悪い、虫唾が走る野郎だ。てめえなんかは・・・」

 舌好調となってきたところで、突然、靴下を履いた足の裏から、地面の感触がなくなった。景色が流れ、背面に激痛が走った。

「勝手なことしてんじゃねぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 仰向けに倒されて、天井を見上げる俺に、上から浴びせかけられる怒声。どうやら俺は、東山に襟を掴まれ、後方に放り投げられたらしかった。

「ここは俺の家だっ!これから何をやるか、俺が全部決めるんだ!お前らは、おとなしく座ってりゃぁいいんだ!てめえらどいつもコイツも、俺をバカにしやがって!俺を無視しやがって!ふざけんじゃねえ!ふざけんじゃねえ!」

 唐津とやりあっている間、東山の演説をずっと聞いておらず、匿名掲示板も見ていなかったが、彼の様子を見る限り、東山はどれだけ一生懸命、自分の正義をアピールしても、外の連中には全く理解されず、頭のおかしい大男がわけのわからないことを喚いているとしか思われなかったようである。

「・・・・殺す。殺してやる」

 ここまで、縄張り争いを繰り広げるゴリラのように興奮していた東山の声音が、急に押し殺したように低くなった。

 顔を真っ赤にして、大声を張り上げている人間は、見かけは迫力があるかもしれないが、けして一線を越えてくることはない。真に危険なのは、冷静に怒りを燃やしている人間である。

 スイッチが切り替わったキッカケは、バスケットボール――中学時代の東山が、栄養失調で痩せこけながら、一日も練習を休まず、レギュラーを掴めるその日を信じて、体育館を夢中で走り回って追いかけていたボールが、ベランダの開いた窓から投げ込まれたことだった。

 野次馬が、東山の過去をネットで詳しく調べたうえで、悪意を持ってボールを投げ込んだのかどうかはわからない。たまたま悪戯で、その辺に転がっていたボールを投げ入れただけだったのかもしれない。だが、それによって、忌まわしき「生存競争」を繰り広げていた時期の記憶を呼び起こされた東山は、「キレた」。丸菱の倉庫で大暴れする次元ではない、人ならぬ者の道に足を踏み入れたのである。

 東山は、押入れからポリタンクを取り出すと、床に可燃性の液体を撒き始めた。まだストーブを焚くには早い時期だから、これはもともと、東山が焼身自殺に使うつもりで用意していたのだろう。開け放たれたベランダの窓から、独特の刺激臭が漏れたのか、外のギャラリーが、俄かにざわつき始めた。

「東山ぁ!バカな真似をしているんじゃない!全部貴様が悪いのに、人のせいにするな!とっとと警察に自首せんか!」

 バカ丸出しの癖に、自信に満ち溢れた声――ショウジョウバエ的存在の深山が、拡声器でくだらないことを喚き散らしに来ていたようだった。

「あのカス野郎!」

「動くんじゃねえっ!」

 自分のことだったらまだ構わないが、東山を悪く言うのは許さない桑原が、護身用の金属バットを持って外に出て行こうとしたのを、敵味方の区別もつかない東山が静止した。東山を神と崇める桑原は、脊髄反射でそれに従い、大人しくリビングに戻ってくる。

 そのまま外に逃げ出していればいいものを、わざわざ戻ってくるとは、桑原は、百円ライターを落としただけで火の海になる今の部屋の状態を、わかっていないのだろうか?ここで死んでも「殉教」になる桑原はそれでいいのかもしれないが、東山は友人であって神とは思っておらず、自分の未来を切り開くためにここに来ている俺には、たまったものではない。

「東山、おめぇ・・・。俺たちを巻き添えにして、丸焼きになろうとしてる?」

「うるせえ・・・・」

 東山は、自明の質問にも答えようとしない。あるいは、やはりこの男、頭は冷えていても、いまだに自分でも何がやりたいのか、よくわかっていないのかもしれない。最初から、東山の小さい脳みその中には、はっきりした筋書きはなく、俺と唐津を呼び出した理由も、ただそうしなければいけないという焦燥感に突き動かされただけのことだったのではないか。

 本能と衝動だけで手足を動かす東山は、結局、三本のポリタンクを空にしてしまった。液体が揮発して、部屋の中にはキレイな虹ができている。刺激臭に目をやられて、東山も唐津も桑原も、みんな涙を流していた。

 火というものがどれだけの速さで燃え広がるものなのか、詳しく知っているわけではないが、今の状況で、唐津だけを確実に殺させ、自分だけが生き残るというのは、おそらく至難の業なのだろう。覚悟していたはずだが、いざ正念場を迎えると、手が震える。やはり、どこかに考えが甘い部分はあったのかもしれない。

「東山~!この殺人ゴリラが!これ以上社会に迷惑かけてんじゃねえ!さっさと捕まれ!」

「最低の鬼畜!あんたなんか、生きてる価値ない!わけのわかんない演説ぶっこいちゃって、バッカじゃないの!」

 アホの深山によって火をつけられた外の群集どもが、東山を煽り始めていた。

「君を守り隊とか、ダサダサなネーミングだなぁ!センスねえんだよ、てめえは!」

「監禁野郎!被害者を離せ!焼け死ぬのなら、一人で死ね!」

 散々な言いようであるが、匿名掲示板で東山を罵倒している連中も含めて、奴らのうち、誰か一人でも、本気で東山を憎んでいる人間などいるのだろうか。誰か一人でも、亡くなった山里愛子に心から同情している人間などいるのだろうか。

 真の正義も無ければ、悪意も無い。ただ日ごろのストレスを、弱い誰か、やらかした誰かにぶつけたいだけの連中に媚びたところで、何一ついいことなどはない。そもそも怒ってもいないのだから、許してもらおうとして謝罪などしたところで、まったく無意味である。反省も自己満足でしかない。東山も実際にやってみて、感情もなく、ただ無責任に人を貶める「世間」とやらの現実を見て、目が覚めただろう。

 東山もようやく気が済んで、あの有象無象のゴミどもの前で、自分の怒りを思いきりブチまけ、ムカつくヤツをぶっ殺して、この世間に、きっちりとケジメを付ける決心をしてくれた。そこまではよかったのだが、敵、味方の区別もつかなくなっている東山は、本当に殺害すべき唐津だけでなく、俺と桑原まで巻き添えにして、焼き殺そうとしているのが問題である。

 唐津を殺させることには成功しても、俺の未来まで一緒に燃え尽きてしまってはどうしようもない。この状況から、確実に逃げ延びるための方策はない。生き残れるかどうかは、判断力と決断力に委ねられる。よく見て、しっかり考え、タイミングを誤らず、適切に行動する――それしかないようである。

 最大のピンチにして最大のチャンス。俺と世間の三十二年に及ぶ闘争の、最大のクライマックスが訪れようとしていた。

「東山さん・・・僕も、やりすぎたのかもしれません・・・。僕に言う資格はないかもしれないけど・・・こういうことは、やっぱりよくないと思うんです・・・どうか、やめていただけませんか・・・」 

「うるせえっ。黙れっ!お前に、何がわかるんだ」

 東山が、唐津の説得を聞くはずがないのは当然である。この状況で唐津が東山を説得し、凶行を思いとどまらせようとしたところで、それによって得る利益が大きいのは、東山ではなく唐津の方なのだから。

 どんな正論だとしても、それによって最大の利益を得るのが、自分にとっての仇敵である限り、それは間違った意見ということになる。俺が莉乃の件で苦しんでいるとき、俺に莉乃への執着を断たせようと説得してきた田辺のようなヤツもいたが、いくらそれが俺自身のためでもあるといっても、莉乃と唐津に、後ろからナイフでぶっ刺される危険に怯えることなく、好き放題パコパコとセックスできるようになる利益を与えてしまう面もあるという時点で、全部台無しになってしまうのだ。田辺が言ってくれているのは俺のためでもあるのは事実だとしても、俺の方は、なんで莉乃と唐津がセックスするために、俺が莉乃を諦めないといけないのだろう、と思ってしまうのである。

 正論は、大多数の人間が利益を得るための意見をまとめた、最大公約数である。大多数の利益などどうでもいいから、自分の利益が大事という人間の前では、まったく効力を持たない。大多数をどうでもいいと思うどころか、大多数を憎んでいる俺や東山に「正論」を振りかざすなど、暴れ馬をムチで引っ叩くのと同じこと。火に油を注いでしまって、ますます手に負えなくなるだけだ。

 正論を振りかざす人間は、いつも弱者の痛みに鈍感だ。人には理屈で割り切れない感情があることを知らない奴らが、分かった風な口をきくな。正論が俺を苦しめるのなら、俺は正論ごと、世間を憎む。

 東山が唐津の言葉に逆上して、文字通り、床一面に撒かれた油に火を点けてしまうところまで想像できたのだが、案に相違して、東山はなかなか動こうとはせず、おそらくライターが入っているのであろうポケットに、手を伸ばしたり引っ込めたりしているだけであった。

 東山の視線の先にいるのは、彼の第一の信者、桑原であった。桑原は、命の危機が差し迫ったこの場面においても、衛兵のように微動だにせず、リビングのドアの前に立ち続け、一言も口を開かず、ただ、東山の命が下るのを待っていた。

 命など、まったく惜しくはない。神と崇める東山と運命を共にできるのならば本望である。そんな彼の崇高なまでの忠誠心が、これまで彼の存在を疎ましく思うだけだった東山にも届いたのだろうか。東山はさっきから、どこか縋っているような目で、桑原をずっと見つめていた。

「お前は、どうするんだ・・・・ここに残るのか・・・・」

「俺は、東山先輩と最後まで一緒にいますよ。何があっても、離れませんから」

 桑原は、お前が止めたのではないか、という突っ込みはせず、泣かせる言葉を口にしてみせた。

 東山の魂胆――東山は、桑原の言葉に胸を打たれたフリをして、振り上げた矛を下ろし、この場に収拾をつけようとしている。唐津の説得に耳を傾けた形にするわけにはいかない東山が利用したのが、自分を神と崇める桑原だった。

 東山は、自分が殴ったことで、ボコボコで血まみれで、マグマが沸き立つの隕石のようになってしまった桑原の顔面を見つめながら、肩を振るわせ始めた。

「やっぱり、俺は・・・・・俺は・・・・・俺は・・・・・お前のような男がいてくれるのならば、俺は、俺は、俺は・・・・・」

 羞恥心からか、最後の一言が吐き出せずに口ごもっているが、この後に続く言葉は、聞かずともわかる。やはり東山は、誰かが自分を止めてくれることを期待していた。これ以上、悪事を重ねないための理由を探していたのだ。

 失望と安堵が、綯い交ぜになったような感情に襲われる。東山は結局、土壇場で日和ったのだ。東山に比べれば、最後に男を見せ、自分なりのやり方で人生にケジメを付けた宮城の方が、まだマシだった。

 世間からすれば、東山が最後の最後のところで踏みとどまろうとするのは、人間らしい、尊い決断なのかもしれないが、東山を、俺と同じ「怪物」と見込み、ともに世間で正しいとされる風潮に抗がう「戦友」であると信じていた俺には、いかにも苦々しいものであり、許しがたい裏切りであった。

 このまま東山と桑原の茶番劇を黙ってみていれば、俺の命は助かるのかもしれない。だが、俺自身が世間にケジメをつけ、新しい未来を切り開く機会は永遠に失われる。世間に無駄に顔を売っただけで終わってしまう。世間にケジメをつけぬまま、おめおめと生き続けるのは、俺にとって、死んだと同じことである。

 ここでやらなければ、俺は自ら袋小路に足を踏み入れてまで果たそうとした目的を達成できずに終わってしまう。自分を虐げてきた世間に糞をひっ付けずして、純玲の待つ家に帰れるか!俺は、東山が日和って、無事に部屋を出られそうになったことに安堵しそうになる自分を叱咤した。

「ありがとう、桑原・・・・お前のおかげで、俺は・・・・」

 どこまでも、世話の焼けるヤツ――どうやら俺が、禁断の扉を、こじ開けてやらねばならないようだった。

 俺は大きく息を吸って、肺腑に目いっぱい、空気を送り込んだ。これから、東山に送る「ラストソング」を歌うための準備である。

 東山に、俺の歌声に乗って、もう一度、「ラストダンス」を踊ってもらう。東山には、この歌をぜひとも、中学時代、合唱コンクールの練習で指揮者を務めた東山に、ちゃんと協力してやらなかった詫びの印と受け取ってほしい。そして、今度はキッチリ最後まで踊り切り、唐津と自分の人生に終止符を打ってほしい。勇気のでない東山の背中を、俺が押してやるのだ。

「東山~!力太郎作ってこい~!」

「東山~!お尻にポッキー刺して、召し上がれ~ってやって~!」

 ベランダの外では、東山のことを恨んでもいない連中が、相変わらず好き放題に喚き散らしている。うまくすれば、面白半分で集まっているあの連中にも、俺の「ラストソング」が引火するかもしれない。そうなれば、あの東山最後の登校日、理科準備室で繰り広げられた光景の再現となる。あのときと違うのは、俺が歌うのは、今度は替え歌などではなく、東山が決めた、合唱コンクールの課題曲であるということ。俺の歌声によって東山が誘われるのは地獄ではなく、男として本懐を遂げる道であるということだ。

「がっ・・・・がっ・・・・が・・・・があっ。があががっ」

 俺の歌を聞いた東山が、脳みそをフォークでガリガリ引っかかれたとでも言うように、頭を掻きむしりながら、地団駄を踏んで暴れ始めた。以前、テレビでミツバチに鼻の頭を刺されたクマが滅茶苦茶に暴れているシーンを見たことがあったが、あれとそっくりであった。

 正直、俺が歌っても東山がまったく気にせず、ただ、俺の気がふれたと思われるだけで終わってしまう危惧も少しあったが、いざやってみると、効果は覿面だった。考えてみれば、桑原が合唱コンクールとおせち料理のたとえ話をしただけで怒り狂って殴りつけるほど、東山のあの件へのトラウマは根深いのである。まさに、「当事者」である俺が、東山が大逆転の希望を託し、結果的には東山抜きで優勝の栄冠を手にしてしまったあの合唱曲を歌っているのを聞いて、東山が平静でいられるはずはなかったのだ。

 もう一つの危惧は、東山が桑原をそうしたように、俺に殴りかかってくるのではないかということであったが、こちらの方も杞憂に終わり、東山は「ベアダンス」を踊るだけで、こちらの方に歩み寄ってくる気配もなかった。このままでは、東山に部屋を焼かせるのも不可能だが、こうして東山のワーキングメモリーを破壊してやれば、東山はとにかく今の辛さから逃れるための行動に出るかもしれない。

 地蔵山のときもそうだが、とにかく動かないというのが一番マズいことで、希望的観測でも何でもいいからどうにかしようとするのが一番大事なことである。唐津に対しての恨みの感情はもとより、世間にケジメをつけてから退場するという「道筋」も、俺は東山に、前もって示している。ネタはすでに仕込んであるのだから、あとは何とかしようと動きさえすれば、どう転ぶかはわからないのである。それこそ、「怪物」東山が、俺の想像を上回る結末を作り出してくれるかもしれない。

「おい、見ろよあれ。東山がバカなことやってんぞ」

「なんだアイツ。とうとう狂ったか?」

「わはは。おもしれー」

 窓の外から、東山が暴れているのを見たゴミどもが、へラへラと癪に障る笑い声を上げ始めた。

 貴様らは、なにを笑っているのか?血も涙も流したことがない連中に、無性に怒りがこみ上げてくる。

 誰より真剣に生きているから、誰よりも狂える。思いが強いから壊れるのだ。何もかもキレイごとで丸め込んで、笑いで誤魔化して生きているようなゴミどもに、東山の何がわかる。お前らのような、一度しかない自分の人生にプライドも持たずに生きているゴミに、東山を笑う資格などあるものか。

 東山はこれで世間とお別れできるが、これから俺は、あんなゴミのような、何のために生きているかもわからないような連中と仲良くしながら、同じ世界で暮らしていかないといけないのである。 ゴミどもの中に溶け込むために大事なのは、謙虚さでもユーモアでもない。コミュニケーション能力とやらよりずっと大事なのは、アイツらの大事にしているものをぶち壊してやることだ。今、ここで、俺がアイツらに負けていない証明をすることこそが、俺がゴミくそどもの中で、東山のように壊れずに生きる唯一の術である。

「てめえっ!やめろ!東山先輩が、苦しんでる!」

 「神」を救うため、白目を剥いて掴みかかってくる桑原の首筋に狙いを定め、スタンガンを押し当てた。荒事に慣れているわけではないが、もともと、東山に襲われるつもりで心の準備をしていたおかげで、驚くほど冷静に対処できた。

「うるせえっ、こっちだって必死なんだ!こんなとこで死ねっか!東山の自殺なんかに、付き合ってられっか」

 いざというとき、警察の追及を躱すためのポーズ。積極的に死地に飛び込んだのではなく、予期せず巻き込まれただけであると釈明するため、わざと外の連中に聞こえるような、大きな声で叫んだ。

 スタンガンは、脳に近い部位で当てるほど効果を増す。九十万ボルトのハイパワースタンガンを首筋に受けた桑原は、一発で泡を吹いて失神してしまった。

 桑原には何の恨みもなく、地蔵山では「暴力装置」として協力をしてもらった恩もあるが、流れの中で起きてしまった事故なのだから、仕方がない。戦いに犠牲はつきものである。崇拝する東山と運命を共にできるのならば本望という本人の言葉を信じて、このまま紅蓮の炎に焼かれて、安らかに眠ってもらおう。

「ほら~、みんなもっと声出して!中にいる東山に聞こえないよ!また、くまさん踊り見たいでしょ!」

 狙った通り、俺の歌は外の連中にも引火して、田舎町の住宅街で、面白半分で集まった連中による「大合唱」が起こっていた。あるいは、奴らはネットの情報で、今自分たちが放歌高吟している歌に、東山が深いトラウマを抱えていることを知っていたのだろうか。

 日本の歌謡曲でメジャーになっているのは、どれも必要以上と思えるほポジティブな歌詞を書き並べているものばかりだが、気分がとことんまで落ち込んでいるときに聞かされる美辞麗句ほど、残酷なものはないものである。まして、歌っている連中は東山を励まそうとしているのではなく、悪意ですらないただの面白半分で追い詰めようとしているだけなのだから、東山には余計にダメージが大きい。

「ああああっ、ああががっ!」

 あの東山最後の登校日、理科準備室で繰り広げられた、四面楚歌の大合唱の再現――。あのときは替え歌で歌ってしまったあの曲を、今度はちゃんと、正規の歌詞に乗っ取って、東山に送り届けることができた。あとは東山が、自分の身を守るために行動してくれるのを待つだけであるが、その前に、ターゲットである唐津の方が、東山が動けなくなった隙を見計らって、部屋の中から脱出を図ろうと、リビングの入口に向かって猛然と走り出していった。

「逃がすかよっ」

 すかさず反応した俺は、唐津をタックルして倒し、まず腕にスタンガンを押し付けて怯ませてから、桑原同様、首筋にスタンガンを押し付けて気絶させた。ベランダから飛び出すのではなく、素直に玄関から出ようとしてくれたお陰で、東山以外の誰にも見られずに唐津を倒すことはできたが、これで唐津を生きてこの部屋から出すわけにはいかなくなった。無論、唯一の目撃者である東山にも、確実に自ら、命を絶ってもらわなければならない。

 あまり時間をかけていたら、再び駆けつけてきた警察が、部屋の中に突入してくるかもしれない。

 まだか?早く、目覚めろ――俺は東山の中の「怪物」を叱咤しながら、外の連中――糞みたいな世間の連中と一緒に、「ラストソング」を歌い続けた。

「ああっ。あががあがあっ!」

 ずっと頭を抱えてしゃがみこんでいた東山は、ようやく立ち上がったかと思うと、ライターに火を点けながら、俺の方へ突進してきた。俺が横っ飛びして東山を躱すと、東山は、すぐ傍で倒れていた唐津を踏みつけ、それからまた、思い直したように俺に向かってタックルを仕掛けてきた。

 どうやら、土壇場で東山が出した答えは、「やるべきことを同時に、全部やる」ということであったらしい。もう、物事の優先順位を判断する思考能力もなくなっているようだが、一応、「唐津を殺す」「自分が死ぬ」ということが、彼にとっての「やるべきこと」の中に入っているようなのは安心した。

 問題は、東山の「やるべきこと」の中に、「蔵田を殺す」ことも入っていたことだ。ひょっとしたら、俺が「ラストソング」を歌い、東山を刺激したことで入ってしまったのかもしれないが、とにかくこれで、少なくとも無傷でこの部屋を出るのは難しくなった。

 自分が助かることを考えれば、東山が部屋に火をつける前に、ベランダから飛び出して脱出したいところだが、その前に、まずは東山が唐津を殺害するところを見届けなくてはならない。何とか攻撃の矛先を、俺ではなく唐津に向けなくてはならないが、東山はパンクした頭でも、倒れている唐津よりもまず、動いている俺の方を先に仕留めなくてはならないと考える程度の思考能力は残されているようで、ときどき唐津に気を取られながらも、八、二の割合で、俺の方を優先的に狙ってくる。狭い室内で、大きな東山からのタックルをいつまでもよけ続けることなど不可能で、俺は床にぶち撒かれた可燃性の液体で足を滑らせて転倒し、東山の三十センチ以上ある足での踏みつけを、顔面で受けてしまった。

 もはや言葉を発することもできない東山だが、彼の俺に対する、凍てついたものと燃え盛るものが混じり合った怒りと憎しみの感情は、ひしひしと伝わってくる。

 東山のすべての不幸は、間違いなくこの俺から始まった。仇敵である俺の顔面目がけて、東山は二発、三発と、踏みつけを食らわせてくる。一発目で頬骨が折れ、二発目で鼻骨が砕け、三発目で前歯が三本飛んだ。東山の、百十キロの体重を乗せた踏みつけ攻撃は、俺の左腕、次いで右腕へと移り、肘の関節部の骨をいとも簡単に砕いて、両腕を真っ二つにへし折った。

 東山は、俺に復讐をしている――が、殺しに来ているわけではない。足蹴にするだけで、刃物で刺そうとしないのは、俺を「戦友」だと思ってくれているからだろうか?おそらくそれもこれもひっくるめて、一言で表すことができない複雑な感情が、東山の中に渦巻いているのだろう。

 愛しているから憎む、憎んでいるから愛する。ストーカーという便利な言葉ができたことで、そういう人間はいかにも最近になって現れたようだが、実際には、太古の昔から、人は人に執着し、強い思いを抱き、嫌がられてもくっ付こうとしたり、離れようとしても離れられなかったり、最後には殺してしまったりを繰り返してきたのだろう。

 俺や東山のような人間は、本当は一人で、誰とも関わらずに生きていた方がいいのかもしれない。だが、世の中は、人が最低限、安定した生活を手に入れようと思ったら、どうしても、人と深く関わることを避けては通れないようにできている。

 度外れた我の強さと執着心を持ち、世間の連中に迷惑だと言われながら、それでも、人と深く関わることを諦めずに生きてきた人間同士にしかわからない絆。最後の最後のところで相手を憎みきれず、共鳴しあってしまう、一卵性双生児のような俺と東山。

 顔面も、四肢も、胴体も、大事な生殖器も、俺の体中を踏みつけ、ボロボロにしながらも、東山は、俺の命は取らなかった。

 東山は、いったんキッチンの方に行って、シンク下から刃渡り二十センチあまりの出刃包丁を取り出すと、うつ伏せに倒れている唐津に歩み寄って、包丁の切っ先を唐津の背中に向け、力任せに振り下ろした。

 確実に命を取りたい方は、刃物で仕留める。血しぶきが天井まで吹き上がり、気を失っていた唐津が断末魔の雄叫びを上げたのを確認して、俺は口角を吊り上げた。目的達成。あとは一刻も早く、悲しき魔獣の檻から脱出するのみであったが、身体が動かなかった。両ひざの皿が割れてしまい、肘も砕けてしまっているせいで、四肢のいずれにおいても、まったく踏ん張りがきかない。

 ここまでボロボロにされると、身体は激痛のシグナルを送るのもやめ、防衛本能のために痛覚を和らげようと試みるらしい。思ったより痛みはなく、頭も働くのだが、身体が言うことをきかないのではどうしようもなかった。

 東山はポケットの中から取り出した百円ライターに再度火を付けて、揺らめく炎の先を直接、自分が地面に撒いた液体に接触させた。

 可燃性の液体はガソリンではなかったようで、火は思ったほどは激しくなく、燃え広がるのも遅いようである。俺は芋虫のように体をくねらせて、炎の勢いが弱いスペースまで這って逃げた。東山は、俺が逃げるのを妨害してくるようなことはないが、助けてくれることもない。自分で手を下すことはできなくとも、自分の自殺の巻き添えになって死ぬのなら構わないし、むしろ万々歳といったところか。

「くそう、くそう、冗談じゃねえ、死んでたまるか。これから、やっと俺の人生が始まるのによっ」
 懸命に逃げるのもむなしく、リビングから一番近い出入り口であるベランダの窓が、炎のカーテンで閉ざされてしまった。もはや自力での脱出の望みはなくなった。

「ひ・・・・東山先輩!先輩!」

 熱さで目を覚ました桑原が、炎の中で身じろぎもせず、焼けこげる床に座り込んでいる東山の腕を引っ張ろうとするが、東山はすべてを諦めたような虚ろな顔を、ずっと自分の足元に落としているだけで、桑原の呼びかける声にはまったく反応しようとしない。桑原が俺を助けようとしてくれる気配はなく、仮に逃げるにしても、俺を連れていってはくれないだろう。四肢をもがれたこの状態で、俺に為すすべはない。万事休すか――。

 炎の熱と一酸化炭素で頭が朦朧としかけたとき、再度の通報を受け、消防隊より先に駆け付けてきた警官隊が、ベランダの窓から、ガラスを割って突入してきた。一度帰ってしまったことで、批判が集中するのを恐れているのか、今度は東京の警察官でもやるかどうかわからない危険なスタントを演じた警察官二名は、それぞれ、俺と桑原、東山の方に駆け寄って救出しようと試みる。

「大丈夫ですか!今、助け出しますからね!」

 三十歳くらいの逞しい警官が俺を背中におぶって、炎の海の中を、玄関の方へと歩いていった。警官隊が突入してきたことによって、火に撒かれて死ぬことが不可能だと悟った東山は、とっさに、唐津を刺した刃で、自らの腹を掻っ捌いていたらしい。口から血を流し、警察に保護されて部屋を出ていく俺を、恨めしそうな眼で見送っていた。

「おい、あんた、バカな真似は・・・」

「東山先輩!やめて、やめて」

 桑原の悲痛な声の後、苦し気な怪物の呻き声に重なって、ズブズブと、肉に刃がめり込む音が聞こえた。東山が、おそらくは致命傷を負ったのを確認して、俺は警官の背中で、安堵のため息を漏らした。

 この生きづらい世間の中でなんとか生き残るため、正しい道を異常な速度で暴走しようとした東山と、最初から裏街道を行った俺。結果、世間に受け入れられたのは、俺の方だった。

 生存競争――。まだ、この先俺が、シャバで幸せになれることが確定したかもわからない。これで世間との戦いが本当に終わったのかもわからない。だが、ひとまず、生き残ることはできた。やるだけのことはやった。

 やがてもう一名の警官が、暴れてもがく桑原を力づくで引きずっていき、室内には、東山と唐津の躯だけが取り残された。

 程なくして駆け付けた救急車によって、俺は病院へと運ばれていく。東山、唐津、ゆかり・・・。生きたくて仕方なかった奴らの代わりに、生まれたことを呪い続けてきた俺が、生き残ることになった。俺は俺のやり方で、世間にケジメをつけた。もっと爽快な、別の世界が見えるような感じを想像していたが、意外に何も変わらないものだ。童貞を喪失したときと同じような感覚。

 自分が裏で糸を引いておいて勝手なようだが、終わってみれば、ここまでやる必要が、果たして本当にあったのかどうか、疑問に思わなくもない。憑き物が落ちるというのは、こういう感じのことを言うのだろうか。もしかしたら、後々、奴らに申し訳ないとか思ったり、罪悪感に苛まれることもあるのかもしれない。

 俺はそれこそが、奴らにとって一番悪いことではないかと思っている。生き残るための闘争という、崇高な目的のために命を失ったのならまだしも、俺が後になってみれば何とも思わなくなったことのために未来を奪われたというのであれば、奴らも死んでも死にきれないではないか。

 一生外道。やはり、それしかないのかもしれない。一生涯に渡って、世間に強烈な憎悪を抱き、人を傷つけ続けていなければいられない男。純玲と二人、静かに生きていくことは、やっぱり無理なのかもしれない。

 難しいことは、あとで考えることにしよう。今はゆっくり、休んでいたい。このケガなら、三か月くらいは働かずに生きていられるだろう。その間にゆっくり、じっくり考えて、結論を出していけばいいと思う。

 セックスができるようになるのはいつだろう。心を安らかにするために、酒が飲みたいのでもなく、ギャンブルがしたいのでもなく、テレビゲームがしたいのでもなく、俺はセックスがしたかった。思い浮かぶのは何度も見た純玲の裸体ではなく、一度も目の当たりにしたことがない莉乃の身体である。愛した女よりも、恨みを持った女の方に情欲を掻き立てられてしまう性癖。やはり、一生を平穏無事に暮らすのは、ムリなのかもしれない・・・。

 例えば純玲と二人で、小動物でも飼って幸せに暮らしながら、一方で、莉乃を性奴隷にして、痩せさせたり太らせたり、洗ったり洗わなかったり、裸にしたり、中学のジャージを着せたり、妊娠させたりさせなかったりして愉しんだりといったことはできないだろうか。

 そう、妊娠・・・。三人の命を奪ったのと引き換えに、莉乃と三人の命を作るということで、世間は罪一等を減じてはくれないだろうか。

 俺の生殖器・・・すべては、ここから始まった。俺にペニスががなければ、ゆかりや唐津が死ぬことも、莉乃が壊されることもなかった。

 罪作りな俺の生殖器。まずこれの回復を待ち、莉乃が病んじゃって、立ち上がる気力もなくて、もう一週間も風呂に入っていなくて、さぞかし臭くなっているだろうなとか想像しながら、純玲に扱いてもらって、口の中に思い切り放ちたい。

 この先のことはともかく、当面はそれを目標にしようと思う。













外道記 21



                          21


 磨き上げられた窓枠から差し込む陽光を反射するフローリング。そこら中に散乱していた衣服は、洗濯してパイプハンガーにかけられ、書籍は書棚に、カテゴリ別に整然と並べられている。シンク周りも嘘のように片付き、ステンレスが光沢を放っている。ガラステーブルの上には、薔薇の花が活けられた花瓶が置いてある。

 夢か、幻か。見違えるようにキレイに片づけられた純玲のワンルームを目の当たりにし、俺はしばし言葉を失った。

「すげえじゃねえか・・・。もしかして、お前が最近取り組んでたことってのは、これだったのか?」

「うん。本当は今日の夕方まで時間とる予定だったんだけど、何とか間に合わせたんだ」

 つい二十日ほど前までの純玲の部屋は、ゴミが散乱して足の踏み場もないほどで、それこそ地蔵山の山小屋よりも酷い状態であった。いずれ片づけるときが来るにしても、業者を呼ばなくてはならないと思っていたあの部屋を、純玲はたった一人の力で片づけたのである。素直に感心していた。

「すげえよ。マジですげえ。魔法でも使ったのか?」

「大したことじゃないよ。ただ、重治さんを繋ぎ止めるには、絶対に片付けなきゃって、今までずっと捨てられなかったものも捨てなきゃって思っただけだよ」

 片付けたくても片付けられない女とは、イコール、捨てられない女であることが多い。他人から見れば明らかに必要のないガラクタでも、いつか必要になる気がして、捨てられず取っておいてしまう。捨てるべきものと取っておくべきものをどうしても分けられず、全部取っておこうとしてしまう。やがて足の踏み場もないほど部屋が散らかれば、片付けようとする気力もなくなってしまう。

 まさしく負のスパイラルだが、全ての元凶である、「捨てられない」部分さえ解決できれば、ジェンガが崩れていくように、あっさりと問題が解決することも多い。今まで純玲は、モノに囲まれているという状態で安心感を得ていたのかもしれないが、俺と一緒に未来を切り拓くという動機ができたことで、何がなんでも捨てなければいけないと決意を固め、思考を切り替えることができたのではないか。

 俺のやりたいことも手伝う、自分のやりたいこともやる。俺と歩む未来のために、彼女は出来得る限りのすべてをやってのけたのである。

「休む前に、ふたりでお風呂に入ろうか。重治さん、すごい臭いよ」

「おお、そうだな。ババアの臭いが、すっかりうつっちまった」

 土や埃、あらゆる体液で汚れきった服を脱ぎ、久しぶりに、二人で風呂に入った。しばらく純玲の裸体を見ていなかったからだろう。昨晩から五発も精を放ったというのに、ムラムラと欲情してきてしまった。

「ちょっと待ってろ。コンドームを取ってくるから」

「いいよ。わたしが行くよ」

 愛してもいない女や、恨み重なる女には遠慮なく精子を注入し、母乳を出させようとするが、本当に愛している女との間には、子供は作らない。子供に愛情がいってしまっては困るし、俺などの遺伝子を受け継いだ子供を作り、愛する女に不幸は背負わせたくないという配慮である。

 同じように、俺は純玲のヴァギナ、脇、あるいは足に雑菌を繁殖させ、臭くしようとは思わぬ。嗅いでみたい気持ちはあるし、命令ひとつで三日、四日は風呂に入れさせないこともできるが、それよりは、職場の連中におかしな目で見られないことの方が大事と考える。

 肥満嗜好のある男が、女房に好きに食べさせた結果、糖尿などの病気にしてしまうケースもあるというが、女を本当に愛しているかどうかは、自分の性癖よりも、女の健康や社会的立場を優先に考えられるかどうかでわかるのかもしれない。

「お風呂から上がったら、もう寝る?」

「いや、何だか目が冴えちまったから、食事にしよう。米が炊けてるなら、インスタントの味噌汁があれば食えるよ」

「うん。じゃあ、用意するね。あ、それと、今から、私が昔観ていたドラマの再放送が始まるんだけど、テレビつけながらご飯食べてもいいかな」 

「ああ、いいよ」

 純玲がわざわざ断りを入れるのは、以前、テレビに夢中になって、俺との会話がそっちのけになったとき、俺が怒ってテレビを消したということがあったからである。

「おい。このドラマで主演の子のまんこは、くせえかい?」

「うーん、この子は前にバラエティで、野菜中心の食生活を送ってるみたいなこと言ってたから、臭くないんじゃないかな」

 自分の世界を何より大切にし、他人が作った世界を拒絶する俺は、ドラマやアニメの作品ですら、容易には受け付けない。好きな女と一緒にそれを観るといったようなときには、それをどうにかして自分の世界と融和させるといった作業が必要である。くだらないことかもしれないが、必要なこと。こういうちょっとした工夫で、世間と折り合いをつけられるケースもある。

「ふう。腹いっぱい食った」

「お腹一杯になったならよかった。先に休んでいてもいいからね」

 純玲が食事の後片付けをしている最中、俺は持って行ったバッグの中から、山小屋から回収してきた、隠しカメラを取り出した。この中には、あの地蔵山の山小屋で、俺の知らない間に、山小屋の住人の間で繰り広げられていた映像が収められている。

 今朝がた、ゆかりの名を呼ぶ宮城の様子を見て気付いた、俺のひとつの勘違い。あの男が、警察や救急には走らないであろうという確信。それを裏付けるすべてが、おそらくはこのフィルムの中に収められているはずである。俺はカメラのメモリーカードをスマートフォンにセットして、録画した映像の再生を始めた。

 再生は五倍速で行っていたが、映っているのはほとんどゆかりだけのようであり、食事とけんじ地蔵、たつや地蔵への授乳を除けば、ほとんどゴロゴロ寝ているばかりで、特別面白いことはなかった。さらに再生速度を上げると、フィルムの最後の方になって、ようやく、にんにく大魔人、宮城が登場した。

「・・・ゆかりさん、具合はどうですか。栄養のある食べ物を沢山買ってきましたから、腐らないうちに食べてくださいね」

 思った通り、宮城は、ゆかりの本名を、かなり以前から知っていた。あの醜悪な四十四歳の女を、いちごと呼んでいたわけではなかったのである。では、宮城が呼んでいたいちごとは、誰のことであったのか?

「いちご。もうすぐ会えるからな。今日は、お母さんのお腹を蹴ったか?」

「やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて」

「あ、すみません・・・・」

 ゆかりの大きな腹を触って、拒絶される宮城・・・・。宮城がずっと、いちごと呼んでいたのは、ゆかりの腹の中にいた、俺の子供だったのである。宮城は、俺とゆかりの子が女の子である可能性に賭け、ゆかりが子供を産んだ後、その子供を誘拐して育てていくことを計画していたのだ。

 親族ではない他人の腹から産まれた子供を引き取るには、家庭裁判所の許可がいる。判断の基準は、経済力と信用性。どれだけ望もうとも、子供を育てていくに十分な収入がない家庭には許可は下りないし、経済力があっても、独身の男が女の子を引き取るといったことは、通常不可能である。

 莉乃に精神を破壊され、おそらくは自ら命を断つ覚悟で地蔵山に入った宮城は、そこで生きる希望に出会った。女の愛に飢えた宮城の生きる希望とは、好き放題エッチなことができる女体に他ならない。ただしその女体とは、四十四歳の悪臭女ではなかった。宮城が希望を見出したのは、悪臭女の遺伝子を継ぐ子供だった。女子高生が町で拾ったメモ帳に書かれていたのは、成長したいちごに愛を囁くために宮城が考えた、「十三年後のプロポーズ」の言葉だったのである。

 努力と我慢という、似て非なる二つの言葉がある。苦痛を伴うという点では同じのようだが、我慢はそれをするだけでは、本人の向上にはまったく役に立たない。兵法の籠城戦がいい例だが、希望が拓ける見込みがまったくないにも拘わらず、ただひたすら餓えや渇きに耐えて我慢をするだけでは、むしろ状況が悪化するだけである。それは我慢は我慢でも、まったく無駄な「やせ我慢」だ。

 自分の意志でする我慢はいいが、他人が言ってくる我慢、とくに、自分より何かしら恵まれている要素のある人間、例えば為政者や富裕層が押し付けてくる「我慢」は、簡単には受け入れてはならない。まして、美徳になどは絶対にしてはならない行為である。

 しかし、籠城戦でいえば、一定期間我慢すれば援軍が来るとか、敵の補給が先に尽きて相手が撤退することがわかっているとかいったように、我慢をしたその先に、確実に希望が拓けているのがわかっているのなら――今よりも状況が良くなることが保証されている我慢ならば、どんな屈辱に耐えてでも、たとえ人間としての尊厳を売り渡してでもする価値はある。宮城は俺たちに何をされても、動かざること山の如しの気概で我慢して、ゆかりの腹から子供が産まれさえすれば、自分の勝ちになるのをわかっていた。だから、ゆかりの母体を傷つけられそうになったときだけは、激しく抵抗した。

 現在、実年齢二十九歳の宮城に対し、赤ん坊は0歳。今、身柄を確保しておけば、十年後には三十九歳で十歳の女体が味わえ、二十年後には、四十九歳で二十歳の女体が味わえ、三十年後でも、五十九歳で三十歳の女体が味わえる。宮城の努力次第では、赤ん坊が閉経を迎えるまでに、二十人以上も子供を産ませることもできる。

 二十九年間女の愛に飢えつづけた宮城でなくとも、自分の思い通りに教育ができる、自分だけしか男を知らない女体を得られるのなら、人生大勝利といってもいいだろう。しかし、問題は、ゆかりの腹から子供が出てくるその瞬間まで、腹の中にいる子供の性別がどちらかはわからないということである。もし、産まれた赤ん坊の股間に、幼き日の宮城と同じ突起物が付いておれば、彼のすべての我慢、辛抱は水泡と帰す。二分の一の確率に賭けて、あそこまで歯を食いしばって我慢ができるかと言われたら、俺にはとても無理である。

 いちごにペニスは――――なかった。あったのは、小さいおしりのような、割れ目であった。宮城は、究極のギャンブルに挑み、そして勝ったのだ。

「ははっ。すげえよ、あいつ。なんだよ、結局あいつの一人勝ちじゃねえか」

 一人勝ち――。地蔵山の山小屋に地獄を創り出したとて、莉乃に地獄を味あわせられたとて、別に、俺の生活が向上するわけではない。形に残るものを得られたわけではない。あの一件で実利を得たのは、結局、宮城一人である。 

 宮城はいちごを、大切に育てるであろう。そして、第二次成長期が訪れ、胸や尻が膨らみだしたら、思う存分、えっちなことをするであろう。

 あの男は、けして腰抜けではなかった。見下げはてた男ではなかった。あの男はあの男で、自らの運命に抗い、世間というものに落とし前をつけ、恨み連なる俺にも復讐し、人に何と言われようと、自分の夢を叶えたのだ。

「大したヤツだよなあ。なあ、東山」

 今、俺のスマートフォンの画面には、インターネットの動画投稿者による、生中継の模様が放送されている。東山の自宅――ベランダに姿を見せた東山は、撮影者に向かって、何事かわけのわからない言葉を喚き散らしたり、モノを投げつけたりといった挙に及んでいる。

「聞けーーーーーっ。俺の話を聞けーーーーーーっ。おっ、おっおっ俺はっ!俺は俺は俺はっ。俺が今までどういう風に生きてきたかわかれ!俺がお前らに偉そうに言われるほど落ちぶれてないことをわかれ!俺は、俺は、ちゃんとやってきたんだーーーーっ!」

 あの宮城ですら世間に対してケジメをつける道を選んだというのに、東山は女房まで殺しておきながら、いまだに世間と手を携えて歩む道があると思っている。まことに往生際の悪い男であるが、まあ、気の済むまでやればいいだろう。そうやって一つ一つの可能性を潰しながら、最後に、俺の示した道に辿り着けばいいのだ。

「てめえら、東山先輩が話してんだろうが!煽ってねえで、ちゃんと聞けよっ!あ?DQNだぁ?今DQNっつったヤツどこだ!前に出ろ!ふざけんじゃねえぞっ、てめえっ!」

 東山のアパートの周りは、騒ぎを聞きつけてきた近所の住民や、動画の生中継を見て集まってきた野次馬でごった返しており、桑原が彼らを抑えるため、一人で孤軍奮闘しているという状況である。

――地蔵山なんて、行かなければよかった。アニキの誘いに乗ったこと、マジで後悔してますよ。しばらく、東山先輩に付きっ切りで行動します。余程のことじゃなければ、連絡しないでください。

 地蔵山からの帰りの電車の中で東山が苦境に陥っていることを知り、昨晩からの重労働で疲れきった身体を押して駆け付けた東山思いの桑原は、群衆に向かって、「帰れ」ではなく、「聞け」と言っている。どうも東山は、自宅周辺に群がってきた連中に向かって、これから何かを訴えようとしているようだ。

 思えば俺と東山の、壮絶な「生存競争」が幕を開けた直接のキッカケは、東山が体育館で行った、「糾弾集会」であった。また、鬱により心身ともに衰弱していた東山が、最後に大逆転の望みをかけていたのは、「合唱コンクール」であった。もともと、人前で演説したり、何かパフォーマンスをやってのけるのが好きな男なのである。東山が自分の「ラストダンス」の舞台として、大勢の前で何かを訴えるという形をとるのは、必然であったかもしれない。

「いいよ、好きなようにやれ。思う存分暴れろ。このくだらねえ世間に、お前なりのケジメをつけてやれ。最後まで見守ってやるさ。ダチとしてな」

 画面の中の東山にエールを送ったところで、突然、純玲の部屋の押し入れの扉が外れ、中から雪崩のように、ゴミや、ハンガーにかけきらなかった衣類、書棚に収まりきらなかった本、バッグなどが流れ出てきた。瞬く間に部屋の半分を覆いつくしたモノは、腰の高さまで重なっている。これを全部平らにしたら、純玲の部屋は、元の木阿弥となってしまうだろう。

「おまえさあ、これじゃ片付けたって言わねえだろ。ゴミ隠してただけじゃん」

 俺が呆れたように言うと、気まずそうな顔をしていた純玲は半泣きになる。

「わかってるよ・・・でも、どうしても重治さんに喜んで欲しくて」

「一か月近くもプライベートの予定を断って、これが精一杯だったのか?土曜か日曜、片方頑張るだけでも、もう少し何とかなっただろ。本当に掃除やってたのか?」

「いつもやろうとするんだけど、身体が動かないんだよ。ついつい、漫画やゲームに手が伸びて、気が付いたら、もう寝る時間になってるんだよ」

「弁当作るのだって、結局続かなかったしな。ゲームとか言ってるけど、お前、俺が貸してやったゲーム、地道にレベル上げしたり、戦略磨いたりするんじゃなくて、裏技使ってクリアしちゃったよね?それで普通に楽しそうにしてたけど、あれ内心、俺ドン引きしたからね。俺が偉そうに言えることじゃねえけどさ、お前の中には、努力して向上する喜びって感覚が、まるっきり欠落してるんじゃねえか?」

 キツいことばかり言っているようだが、本気で残念に思っているわけではなかった。むしろ、安堵に近い感情に満たされていた。

 純玲の部屋に入ったときから、何か納得いかない感じがあった。出来過ぎていると思った。

 ちょっと気持ちを入れ替えただけで、今までできなかったことができるようになる。長年抱えていた問題が、考え方ひとつ変えただけであっさり解決する。好きな男ができただけで、劇的に人が変わる。純玲がそんな、莉乃のおとぎ話に出てくるような女なら――純玲が俺じゃなくても何とかなる、俺じゃなくても面倒が見れるような女だったら、俺は純玲を好きになっていない。

 逆の立場から見た場合でも一緒である。純玲は俺がいなくてはやっていけないのと同じように、俺の方も、純玲がいなくてはやっていけなかった。俺のようなアクの強い男を受け入れてくれるのは、世間の価値観よりも愛する男の価値観を優先に考えてくれ、俺という男にすべてを委ねて、黙ってついてきてくれる、純玲だけである。

「わたしはダメな人間なんだ。何もできない人間なんだ。私のような脳の欠陥を抱えている人間に、生きる道はないんだ」

 布団に泣き崩れる純玲を、俺はぎゅっと抱きしめてやる。

「なんにもできねえ人間は、ずっと卑屈にしてなきゃいけねえのか?自分をダメだと思って生きていかなきゃいけねえのか?そんなわけがあるか。お前は最高だ。俺のような、生きてちゃいけねえ人間でも愛することができる、優しいお前のどこがダメなんだ。できなかったら、少しずつでもできるようになりゃあいい。十や二十にはなれなくても、一だったものが二にも三にもなれば、それでいいじゃねえか。それを評価しねえ世間の方が悪いんだ。今回はできなかったかもしれないが、明日からもう一度、俺と二人で、生活を立て直してみよう。二人でちょっとずつ、片付けていけばいいよ。一人じゃ無理なことでも、二人ならできる。お互いの足りないところを、お互いが補っていけばいいんだ。マイナスとマイナスを掛ければ、プラスになるんだ」

 俺が何より嫌うキレイごとのような言葉が、何の違和感もなく、スッと口をついて出てきた。

 俺にもけして、聞こえのいい言葉がまったく受け入れられないわけではない。ただ、唐津のように、あらゆる物事を自分の都合の良いように解釈することができない俺には、聞こえの良い言葉を、拒絶反応を起こすことなく体内に受け入れられるまでの時間が人一倍長く、乗り越えなくてはいけない試練が、人一倍多いだけである。

 俺にとって、過去の「汚点」であるゆかりを、俺に過去、屈辱を味あわせた莉乃と纏めて始末するという大仕事を二人でやってのけたことによって、俺と純玲は、いかなる矛盾も介在しない、何者も立ち入れない固い絆で結ばれた。キレイごとではなく、俺が世間にケジメをつけるために力を貸してくれた純玲とならば、俺は何も疑うことなく、明るい未来へと向かって踏み出すことができる。

「俺が生きてちゃいけねえ人間と、誰が決めた?」

 布団に包まり、純玲の華奢な身体を抱きながら、俺は先ほどの自分の言葉に対して問いかけた。

「俺が生きてちゃいけねえ人間と、誰が決めた?生きてちゃいけねえ人間が幸せになっちゃいけねえと、誰が決めた?糞みたいな世間の価値観に従う必要はないと考えられたら、人間はどこまでも自由だ。俺は世間を、どこまでも嘲笑ってやるよ。同級生を殺人犯まで追い込み、実の両親の精神を崩壊させ、二年間も連れ添った女をボロボロにして殺した俺が、お前とラブラブで、幸せになるんだぜ。社会正義も糞もねえだろ」

「ほんとに?私たち、幸せになれる?」

 純玲が自問自答する俺に顔を向け、丸く大きな瞳を輝かせた。

「それは、どうだろうな」

「わからないの?」

「俺は今まで自分がやってきたことを、なんとも思っちゃいねえ。反省も後悔もしてねえ。俺たちがこれから幸せになることが後ろめたいなど、欠片も思っちゃいねえ。俺たちが幸せになるにあたっての障害は一つもねえ・・・・。ただ、俺に屈辱を味あわせたヤローを放っておくわけにはいかねえ。あいつを野放しにしたまま、幸せの階段を上らせたまま、新しい人生を踏み出すことはできねえ」

 俺は純玲を抱いたまま、視聴中の動画を中断して、手の内で鳴動するスマートフォンの通話ボタンを押した。

「アニキ?なんか、さっきから東山先輩が、アニキの名前を叫んでるんですよ。言ってることはよくわからないんですが、かなり興奮した様子で・・・。それから、唐津の名前も叫んでいるようです」

 生放送の動画にチラチラ映る桑原は、左の頬を押さえており、受話口の向こうから聞こえてくる声は、やや聞きとりにくい。桑原は、敵、味方の区別もつかなくなった東山から、殴打を受けてしまったらしい。

「・・・・ちょっと、東山に代わってくれよ」

 しばらくして電話に出た東山は、かなり興奮した様子で、送話口に荒い息を吹き込んでいる。俺は自分からは何も問いかけることなく、東山が喋り出すのをじっと待った。

「・・・・こっちに、来い。あいつも、連れて来い」

 低く押し殺した声。こっちに、というのが東山の自宅を指し、あいつも、というのが、唐津を指すのは、聞かなくてもわかった。

「唐津を連れて行くのはいいけどよ。お前がこれから、俺たちを呼んで、何をしようとしているのかを教えてくれよ」

「・・・・・」

 俺が質問すると、東山はだんまりになってしまった。言った瞬間、俺が来なくなるとわかるような理由なのか。あるいは、東山自身にも、俺と唐津をなぜ呼ぼうとしているのかが、はっきりとわかっていないのか。

「俺らがもし来なかったときは、何が起きるの?」

「・・・・・」

 東山は、この質問にも答えようとしない。来いと言っておきながら、用件は言わない。非常識な態度であり、東山以外の人間なら、当然断るところであるが・・・。

「・・・わかった。すぐ行くから、ちょっと待ってろ」

 電話を切った俺は、すぐに唐津に電話をかけた。

「よう、団体交渉は終わったかよ」

「ええ。ほぼ、予定通りの条件で、先方とは手打ちが済みましたよ。ちょうど、蔵田さんにも報告しようと思っていたところです」

「そっか。それじゃ、東山はクビってことだな」

「そういうことになるみたいですね」

 宮城に対する莉乃と同様に、まるで、他人事のような言い草である。こいつは、自分が踏みつけてきた人間の痛みを、自分が人を踏みつけていることの罪悪感を、ずっとそうやって処理していくつもりなのだ。

 こんなヤツと一緒にいたら、せっかくメタメタにしてやった莉乃も、すぐにまた息を吹き返してしまう。何としても、今、このタイミングで、何もかもご都合主義の唐津を、心身ともに粉砕してやらなければならない。

「その東山が、俺と君を呼んでるみたいなんだ。案内するから、一緒に来てくれないかな」

「え・・・いや、でも・・・・」

 唐津の声のトーンが、露骨に落ちる。

「いいから来いよ。東山にも人生があり、大切な家族があったんだ。そいつを君はぶっ壊したんだぜ。このままタダで済ますわけにはいかねえだろ。人として」

「うーん・・・いや・・・しかし・・・」

 唐津も少しは、東山を破滅させてしまったことに対し、罪悪感を感じているようである。これが低収入の派遣スタッフのままだったら、東山に情けはまったく感じなかっただろうが、唐津は間もなく、彼にとって価値のある、正社員となるというのが大事なところであった。自分にこれから開けている未来と、東山の崩壊した未来を見比べて、その落差に平然としていられるほど、図太い神経は持ち合わせていなかったのだ。

「とにかく来いよ。来て、会って、話だけでも聞いてやれよ。じゃねえとアイツも、納得して次のステップに進めねえだろうが」

 次のステップなど、あるはずがない。元殺人犯の男が、世間に面が割れて、家族も仕事も失って、ここからどうやり直せというのか?東山にとって、次のステップは破滅のステップ。踏み出した瞬間、唐津の命は刈り取られるのである。

「・・・わかりました。話をするだけなら・・・」

「おう。派遣会社には連絡すんなよ。止められるに決まってっからな。取り敢えず、駅まで来いよ。着いたらまた、連絡してくれ」

 渋々ながらも唐津が承諾したのを受け、俺は電話を切り、洗面所に立って、「最後の舞台」に立つために、軽く身だしなみを整えた。

「悪い。ちょっと、行ってくるわ」

「帰ってくる・・・?」

 何かを察したらしい純玲が、布団から出て、不安げな面持ちを向けながら尋ねてきた。

「わからん、な・・・・・」

 東山が「ラストダンス」を始めたと知ったときは、正直戸惑った。東山の性格をよく知っている俺なら、十分予想できた範囲ではあったと思うが、迂闊にも、想定外の行動だった。

 俺としては、東山がもっと静かに唐津を殺害して、東山もひっそりと、山の中かどこかで命を断ってくれないかと期待していたのだが、そうは問屋が卸さなかった。東山は、世間にケジメをつけて死ぬにのはいいにしても、人生を終える前に、自分が「ヒーロー」であることを世間にアピールし、自分の名誉が回復されたのを確認してからでなければ、死んでも死にきれなかったのだ。

 これから俺が唐津とともに東山の自宅まで出向いたとき、いったい何が起こるのか、東山は一体何をするつもりなのか、俺にはまったくわからない。東山は、群衆の前で俺を殺すつもりなのかもしれないし、あるいは唐津を殺害した後、俺がやってきたことも群衆の前ですべてばらして、道連れにしようとしているのかもしれない。

 リスクも承知で、敢えて行ってやろうと思う。この身一つで出かけて、東山の好きなようにやらせてやろうと思う。リスクというなら、むしろより大きなリスクは、せっかく死にゆこうとしている者の願いを聞き遂げることもなく、無視を決め込むことだ。

 十八年前、「生存競争」における大逆転の望みをかけていた合唱コンクールを潰された東山は、自分の感情を爆発させる場所も失って暴走し、あろうことか、学校でただ一人の味方であった、山里愛子を殺害した。

 「死に場所」を失った男は、思いもかけぬ大暴走をしてしまうものだ。ここで東山を無視した場合、疑心暗鬼を募らせたあの男は、山里愛子同様に、東山の個人情報が流出してからは一貫して味方だった俺に刃を向けてしまうかもしれない。

 もし、東山に呼ばれたのが俺だけだったら無視という手もあり得ただろうが、東山は俺だけではなく、唐津も呼んでいるのである。

 東山は、もしかしたら、俺と唐津、二人纏めて殺すことを企んでいるのかもしれない。だったら、東山が唐津を殺害している間に、俺は何がなんでも逃げ出せばいい。

 あるいは、東山は、俺と唐津、どっちを本当に殺すべきか、まだ考えあぐねているのかもしれない。だったら、どうにか説得して、現場で最後のひと押しを加えて、俺ではなく唐津を殺す方向にもっ ていくように努力すればいい。

 ピンチとチャンスは、常に同時にやってくるものだ。チャンスが百パーセント、魅力的な笑顔を浮かべながらやってきたときには、大抵、大きな落とし穴がある。今度のように、チャンスが目元で笑いながら、口元はへの字に曲げながらやってくるぐらいのときの方が、逆に信用できる。

 ここが俺の人生で、一番の正念場だった。復讐計画が大詰めを迎えたところで、中途半端に自分の命を惜しんでチャンスを逃し、未来への扉を閉ざしてしまうか?最後の最後、命を投げ出して、未来への扉をこじ開けるか?

「ったろうじゃぁねえか」

 ヒゲをあたり、顔を冷水で洗った俺は、大声を出し、両手で頬を張って、自分に喝を入れた。

 好きな女のために、男になる――好きな女との未来を踏み出すために、命を投げ出ず。少し前なら、怖い以前に、恥ずかしくなって逃げ出してしまっていただろう爽やかドラマみたいな場面が、まったく抵抗なく受け入れられた。矛盾を乗り越えるのにかかった時間が長く、苦労が大きかった分、今の俺の純真さ、ひたむきさは、甲子園の決勝戦に挑む高校球児にも勝っていた。

 どんな変態セックスをしても、こんな気持ちは味わえなかった。俺がこんな瑞々しい気分を味わえるなんて、夢にも思わなかった。回り道は、けして無駄ではなかった。

「じゃ、ちょっと、行ってくるよ」

「私は、待ってるよ。いつまででも、待ってるよ」

 愛する女が、俺を待っている。きっと帰ってくる。

 憎き世間に、小さな糞を擦りつける――。

 決着のときである。



プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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